Kingdom Fellowship Church
Message Outlines 2004.02.15
神の御性質に安んずる @ 神は私たちの罪に従って、私たちをあしらわない(詩篇103:10) A 主は怒るのに遅く、恵み深く、赦す神である(詩篇86:15;103:8;145:8) B 神の訓練は愛の訓練(ヘブル12:7-11) C 完全な愛は恐れを取り除く(1ヨハネ4:18) D 良心に咎めがなければ確信を持つことができる(1ヨハネ3:21,22) E たとえ咎めがあっても、神はそれ以上に大いなる方(1ヨハネ3:20) F 「聖霊を汚す罪」とは、( i )イエスをその目で見て、( ii )イエスがそのわざを聖霊によってなすことを知っていながら、( iii )あえて「悪霊によってなしている」として、聖霊を冒涜すること →イエスの栄光化前は聖霊はイエスの内にあって、わざをなしておられたが、イエスの栄光化後は、イエスを証しする霊とされた。現在私たちは、イエスを目で見てもいないし、聖霊がイエスから独立して単独に業をなすことを目撃もできないので、その罪を犯すことは決してできない! 注1:自分が「聖霊を汚す罪」を犯しているのではないかと心配することが、実は犯していないことの証明!この罪を犯したユダヤ人たちはそのような心配すらまったく感じることがなかったのである。 注2:いわゆる「油注がれた器」を批判することは聖霊を犯す罪ではない!そのようなことを言う者たちは、むしろ自分をイエス以上においている。なぜなら、人の子を汚す罪は赦されるが、「油注がれた器」を批判する罪は赦されないと言っている事と同じ。これこそ御子に対する冒涜である。 G 私たちの信仰の対象は、自分の「信仰」や、行いや、わざではなく、ただ神がどのよ うな方であり、何をなしてくださったかである→永遠に変わることがない!!! Kingdom Thinking ! |