Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.07.11


約束の子(2)

アブラハムは肉の力でイシマエルを産みましたが、それから13年間は主の言葉を聴きませんでした。ある時3人の客を迎えると、彼らを通して再び神の約束が語られ、99歳の彼にイサクの誕生が再確認されました。すでに肉の力は尽きており、彼は心の中で笑ったのです。が、聖書は彼の信仰は弱っていなかったと書いています。隠して肉に頼らないことの証明として彼は割礼を受けました。物事はすべて私たちの能力や何かによるのではなく、ただ神の約束の成就なのです。かくしてイサクは誕生し、彼は8日目に自動的に割礼を受けました。一面アブラハムは父なる神を、イサクは子なる神を予表しますが、同時にアブラハムは私たちの信仰による父、私たちはイサクでもあるのです。私たちも心の割礼を受け、アブラハムと同様に肉の力が尽きる時に神の業がなされます。肉に頼らない者こそが、真のアブラハムの子孫であり、イサクがアブラハムの全財産を相続したように、私たちもキリストと共に神の財産を相続するのです。神の業は「死と復活の原則」によってなされます。自分の力が尽きてしまうことは幸いです。弱くなり切ることは幸いです。クリスチャンの多くの問題は、私たちが肉によって多くのことをなし得ることによります。かくして復活の力が働く時、私たちは新しい創造として、いのちの領域にあって、いのちの御霊の法則によって生きるのです。このとき神のあらゆる豊かさを極みまで享受することができるでしょう!


1.イサクの誕生

@イシマエルの誕生はアブラハムが86歳、それから13年間主の言葉がなかった

Aアブラハム99歳で再度の約束の確認:アブラムからアブラハムへ

Bアブラハムの応答

・心の中で笑う、しかし信仰はあり続けた(ローマ4:19-21)→思いの中に起きることと信仰とは異なる、信仰は霊の中の事実
・肉のもの(イシマエル)を大切に思う→魂の反応


C割礼の実行:約束を信じたのはアブラハムが75歳のとき=無割礼の時→肉の力が尽きた時(アブラハム99歳)、真の割礼が行われる(コロサイ2:11)

D割礼の意義:肉を脱ぎ捨てる、信仰による義の証印(ローマ4:11)

E3人の客を迎える(創世記18章):サラの笑いによる応答、しかしサラも信じていた(ヘブル11:11)→主の言葉はしばしば摂理的な出会いにおいて語られる

Fイサクの誕生(創世記21:2)→「主は約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりにサラになさった」


2.イサクの成就

@イサクはアブラハムに対する約束の子→父なる神=アブラハム、子なる神=イサク

Aイサクはアブラハムの信仰による子孫としての私たち(ガラテヤ4:28)

Bイサクは肉の希望がすべて尽きた時、ただ神の約束によって与えられる→肉に頼ることをしない(ピリピ3:4-11)

Cイサクはすべての父の富を受け継いだ→子であるから自動的・努力していない(創世記25:5;ガラテヤ3:29;ローマ8:17)

Dイサクは生まれて8日目(復活の数字)に自動的に割礼を受けた→私たちも心の割礼をすでに受けている(ピリピ3:3;コロサイ2:11)

Eイサクは復活による新しい創造を予型し、その実体はキリストの十字架によって成就した(ガラテヤ6:15)

F私たちの責任=新しい創造の法則に生きること!