Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2004.07.18


約束の子(3)

アブラハムは信仰によって独り子なるイサクを得ましたが、神はイサクを捧げるように求めます。ある意味で理不尽な要求ですが、アブラハムは神に従います。モリヤの山は後にダビデがオルナンから買った土地であり、ソロモンが神殿を建てる場所です。アブラハムがイサクを捧げることはもちろん父なる神が子なる神を捧げることの型であり、神こそがわたしたちの罪のための理不尽を経験されたのです。真の犠牲の供え物である独り子なるイエスを捧げたのは父神でした。しかしアブラハムはイサクを取り戻します。神の目にはイサクは死んだも同じであり、アブラハムは復活の中からイサクを取り戻したのです。彼は神が必ずイサクを復活させると信じていたのです。これは「聖なる計算」であり、Kingdom Thinkingの実例です。神はイサクの代わりを供えて下さいました。常にわたし達は自分の何かを代価として手放す必要があるのです、神はただ私たちから取り上げるだけではなく、私たちの信仰を見ておられるのであり、しかもわたしたちが耐えられない試みに会わせることはありません。必ず逃れる道をも備えて下さるのです。神はアブラハムの信仰と従順のゆえに、祝福の約束に加えて、ご自分にかけて誓いまでして下さっています。さらにその実体であるキリストの犠牲によって、その効果に与る私たちもその約束を得ています。信じること、従うこと。これがその祝福の約束を自分のものとするコツです。


1.捧げられたイサク

@神の語りかけ(創世記22:1)
A神の命:「モリヤの山でイサクを捧げよ」(創世記22:2)
Bモリヤの山:意味は「主が備える地・主の顕現の地」、場所はおそらくダビデが宮用地としてオルナンから購入した場所(2サムエル24:15-25;1歴代22:1;2歴代3:1)→ソロモンの神殿の場所
C3日目にその場所が見える。アブラムの言葉「わたしと息子はあそこに行って、礼拝をして、また戻ってくる」→アブラハムの信仰(聖なる計算、ヘブル11:17-19)
Dアブラハムは独り子を捧げた→主は牡羊を備えた
E神の誓い:自らに誓う(創世記22:16)→比較、ヘブル6:13
F独り子が捧げられたゆえ、アブラハムの祝福の約束は神ご自身の誓いによって確証された→私たちにも適用される(ヘブル6:17)


2.キリストにあって成就したイサク奉献

@父の御旨(ヨハネ3:16)
A子の従順(ヘブル5:8-10;5:7)
B捧げ物の実体(ヨハネ1:29;7:27;10:1)
C復活(1コリント15:21)
D神の備え(1コリント10:13)
E神の祝福の約束(ヘブル6:13,14)
F神の名前:アブラハム、イサク、ヤコブの神(=父、子、聖霊の三一の神)
G神は生きている者の神(マタイ22:32)
H復活による新創造としていのちに生きる(ガラテヤ6:15)