魂のいのちと霊のいのち
Colin Urquhart
いのちには霊的いのち(pneuma)、魂的いのち(pshuche)、肉体的いのち(soma)の次元があります。私たちが再生されたのは霊のいのちであり、私たちの霊と主の霊はひとつです。今日の問題の多くは魂のいのちと霊のいのちを混同することによります。神の業を魂のいのちで完成することはできません。霊のいのちが必要です。そのためには十字架による霊と魂の切り分けが必要となります。深い部分において十字架のメスをもって御霊によって手術を受ける必要があります。いろいろな感情や葛藤や悩みなどはみな魂を救おうとする取り繕いから生じてきます。今日の教会における様々の聖書の真理からの逸脱はみな魂を保存しようとする、あるいは魂を救おうとすることから生まれてきます。神の国は霊の中にまかれた種として、霊の中に育ち始め、霊から魂の領域へと拡大しつつあります。神のすべての資源は霊の中に装備されており、その装備を魂の次元で享受し、また肉体の次元に実現する鍵は信仰です。信仰が働く時、霊の中のリアリティが私の経験とされます。私たちは魂をいのちとするのではなく、霊のいのちをいのちとして生きる必要があります。魂の領域から霊の領域へと解放される必要があります。そのときますます神の富をエンジョイすることができるでしょう!
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