Kingdom Fellowship Church
Message Outlines 2004.12.05
1.キリストvsキリスト教 @クリスチャンは「教」ではなく、パースン(お方)を信じている A「教」は要求するだけ、パースンは満たして下さる方 Bクリスチャンはキリストのパースンと結合されている Cクリスチャンはキリストのいのちを内に得ている Dキリスト教信者からキリスト信者への脱皮 2.イエスのいのちの務め(ヨハネ6章) @ヨハネ5章にはベテスダの池(=いのちを与えない宗教)に歩めない人々がいる(=いのちの吹き込みの必要性) Aヨハネ6章には空腹の人々がいる B海はサタンによって堕落させられたこの世、山は人の住むべき場所を意味する Cこの世においては人々は空腹で(5節)、困難に満ちている(18節) D過ぎ越しの祭り:ほふられたキリスト、食べることのできるキリスト(1コリント5:7) E5つの大麦のパン=初穂として捧げられる(レビ23章)、復活のキリスト(1コリント15:20)、「5=4(被造物)+1(神)」は責任の数字(キリストはいのちの責任を負ってくださる);植物のいのち=再生と復活のいのち F2匹の魚=動物のいのち;贖いのため;「2」は証の数字 G再生のいのちとしてキリストは「地」において撒かれ、地で復活された;いのちの贖いのためにはサタンに汚染された「海」で罪なしに生きられた。魚は塩の海に生きているが塩辛くない。 H200デナリ=約1年分の収入:人の考えは大きい、しかしキリストはいのちの供給として、5つのパンと2匹の魚として小さき形でおられることを好み、人々にのせられない(15節) I12のかご:5000人のユダヤ人だけではなく、異邦人にも十分な供給を与えるキリストの豊かさ;大麦のパン(復活のいのち)の残り(参照:ツロフェニキアの女) ■暗唱聖句:ヨハネ6:11−13 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。 |