Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.02.20



いのちの務めN−主のみに頼る−

イスラエルの民はモーセがシナイ山に登っている間に自分たちで子牛の像を鋳造し、それを拝しました。その後王国が分裂してからも特に北王国は金の子牛を拝み、エルサレムを離れました。偶像の本質は主以外に私たちが頼りとするところのものであり、主に対する信仰と反比例して偶像が欲しくなります。現代のクリスチャンはモロに像を拝むことはありませんが、目に見えない偶像を持っています。仕事、お金、家族、友人、さらには特定のミニスターや聖書知識やクリスチャン的活動そのものも偶像になり得ます。偶像は主と私の間にはさまってくるものすべてであり、主との親密な交わりを疎外します。また偶像は一種のヴァーチャルリアリティであり、決して私たちの渇きを満たしませんし、いつか失望に終わります。私たちが頼る方は主イエス・キリストであり、人に波見捨てられたつまづきの岩です。この岩に頼るならば決して失望に終わることはありません。しかもこの方は天におられると同時に、今このとき私たちの内にいてくださる方です。霊に戻る時、この方に触れることができます。この方は私たちを憐れみ、慰め、励まし、常に恵を下さろうとしておられる方です。すでに血が流れています。その血によって大祭司イエスは天の至聖所に入り、私たちのすべての罪や困難や苦しみや葛藤のためにとりなして下さっています。時期を得た助けを受けるためにはばかることなく恵の御座に近づきましょう。



1.偶像の本質

@金の子牛(出エジプト32:4;1列王12:28)→目に見えるものに頼る

A目に見えない偶像→主と自分の間に挟まるものすべて
ex.人物、仕事、お金、家族、聖書の知識、ミニストリーなどなど
→すべてはヴァーチャルリアリティ→失望に終わる


B主に対する信仰と偶像に対する信仰は反比例する→この岩(=イエス)にのみ頼る(ローマ9:33)


2.頼ることの本質

@明け渡すことと手離すこと

A自分で自分を救わないこと

B闇の中であれ、留まること→自分のたいまつを燃やさない(イザヤ50:11)

C御言葉を見つめる(イザヤ46章)

D霊に戻り、霊の中にキリストに触れる


■暗証聖句:イザヤ46:12−13
わたしに聞け、心のかたくなな者よ。恵みの業から遠く離れている者よ。わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。もはや遠くはない。わたしは遅れることなく救いをもたらす。わたしはシオンに救いを。イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。