Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2005.02.27



いのちの務めO−ひとつになる−

人は霊・魂・体からなりますが、この3部分が統合され、ひとつになって機能するとき、もっとも健康であり、健やかな状態となります。「霊と魂の分離」とかの話を聞いて、自分を見つめ、魂だろうか霊だろうかとやりだしますと、このひとつが壊れます。このとき内側は見る自分と見られる自分に分かれ、自分を自分で裁くようになります。これがすべて心の病のルーツです。パウロは自分で自分を裁かないと言っています。かくして知識だけを蓄積するならば、まず人を高ぶらせ、また自分を自分で裁くことになります。私たちは神に対して、また自分に対して二心であってはなりません。心が一枚になるとき、信仰が機能します。自分から目を離して、救い主なる方を見つめることに注意を置くならば、御言葉が直接に語られ、内側に光と力が満ちるようになります。そのために単一であることが必要です。それは単純に主の名を呼び求め、単純に内なるキリスト・イエスに触れ、単純に御言葉を求め、単純に祈り求めればよいのです。一度これまでに蓄積した霊的知識をすべて忘れ、内なるキリストに何度も何度も戻ることを求めましょう。私たちの心がひとつに統合される時、私たちは聖、すなわち体・魂・霊の健やかさを経験することでしょう。内なるいのちがますます湧き上がってくる経験をすることができます。




1.心の葛藤の原因

@二つに分かれること:見る自分(裁く自分)と見られる自分(裁かれる自分)の亀裂
A知識が増えると憂いも増す(伝道の書1:18)
B知識は人を高ぶらせる(1コリント8:1)
C知識は良心に影響する(1コリント8:7)
例:魂と霊の分離の話を聞く→自分が魂的なのか、霊的なのか不安になる
D自分を見つめることからキリストへの転機
E二心にならない→健やかさ(聖)とは霊・魂・体がひとつに統合される(1コリント4:3)



2.単純な霊的訓練の実行

@主の御名を呼ぶ(創世記4:26)
A教会とはいたるところで主の名を呼び求めている人々(1コリント1:2)
B名と実体はひとつであり、分離不可→主の名を口にすることは臨在を保つこと
C言葉と実体もひとつであり、分離不可→御言葉を口にすることはその方に留まること



■暗証聖句:ヤコブ4:8;イザヤ45:18-23

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清く(=単一)しなさい(cf.マタイ5:8)。

天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てられた方、これを形のないものに創造せず、人の住みかに、これを形造られた方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。ほかにはいない。わたしは隠れた所、やみの地にある場所では語らなかった。ヤコブの子らに『むなしくわたしを尋ね求めよ。』とも言わなかった。わたしは主、正義を語り、公正を告げる者。地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い、わたしについて、『ただ、主にだけ、正義と力がある。』と言う。