Kingdom Fellowship Church Message Outlines2005.04.10
いのちの務め(21)−隠されたいのちの経験―
私たちはキリストと共に死んだ者です。同時にキリスト共に復活し、復活のいのちにあずかる者です。そのいのちは霊にインプラントされてあります。幕屋の構造が人間の霊・魂・体に対応するように、私たちの礼拝は至聖所=霊の中における礼拝です。聖所においても確かにメノラー(光)があり、備えのパンがありますから、魂も光に照らされ、いのちのパンを食べて満足することができます、が、さらに深く至聖所(=霊)の中に入る必要があります。そこにはキリストを予表する契約の箱があり、その中には隠されたマナが入っています。私たちのいのちはキリストと共に神の中に隠されています。キリストがおられるところ、それはすなわち霊の中です。私たちの経験は単に魂のレベルの喜びや満足で終わらず、もっとも深い霊のうちでの経験です。いのちは霊のうちにあり、霊が喜ぶことにより、私たちは隠されたマナを食べることができます。たとえ魂に苦しみがあろうと、霊はそれによって影響されることなく、隠されたマナを享受することができます。これが勝利者の特権です。外なる業や魂的なものから解かれて、霊の中に入り込むとき、そこにはキリストがいまし、私たちのいのちもそこに隠されてあります。キリストと共に神の中で復活のいのちの経験をすることができるのです。それは誰にも妨げられることがない、まことの静けさの中での経験です。 |
1.幕屋の構造
@外庭(祭壇、真鍮の水溜)⇔体・犯した罪の対処
A聖所(メノラー、備えのパン、香壇)⇔魂・光とパンであるキリストの経験 香壇(=祈り)の位置は旧約と新約で異なる
B至聖所(契約の箱=芽の出たアロンの杖+律法の石版+金の壷の中のマナ)⇔霊
2.いのちのありか
@契約の箱はキリストの予表:アカシヤ材(人間性)+金(神性)
A私たちは死んだ者であり、私たちのいのちはキリストと共に神のうちに隠されている(コロサイ3:3)→私たちのいのちは契約の箱と共に至聖所にうちにある
B魂の満足から霊のうちへと入り行く経験の必要性→そのために幕は裂かれた!
Cいのちの経験は内なる秘められた経験であって、隠されたマナを食べること(黙示録2:17)
■暗証聖句:コロサイ3:3;黙示録2:17
・ あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
・ 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。
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