Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2005.10.23
モーセがシナイ山で神の指が書いた律法の石板をもらい、幕屋の設計図を啓示されて山から下りると民は金の子牛を造り礼拝していました。モーセは怒り、その石の律法を砕きました。もし律法を裸のまま民の中にもたらしたら直ちにすべての人が裁かれて滅ぼされるからです。モーセは民を聖別しました。レビ系の祭司の任務を果たすためには父や母よりも主を愛する必要があるのです。かくして彼は民のためにとりなしをし、主の元にのぼり、改めて律法を受けました。この時にはアカシアの箱を用意せよと主は言われました。律法を裸のままにしないためです。これはキリストの贖いのわざを予表します。キリストは私たちのためにとりなしをし、律法を内に秘め、それを成就し、父の元にのぼり、レビ系の祭司制度を終わらせ(=最初の石板を砕き)、二度目の律法となられ、いのちの力によってメルキゼデク系祭司とされたのです。かくしてキリストは贖いの蓋となられ、律法から私たちを覆い、私たちはこのいのちの主キリストに対して直接に責任を負うのです。今や私たちは罪に定められることはありません。だから安心して御霊によって歩むのです。その時律法は私たちにおいて成就します。旧約の務めは文字に仕え、人を罪に定め、死をもたらす務めでしたが、新約の務めは霊に仕え、人を義とし、いのちをもたらす務めです。それはまことの実体としての幕屋を建造する働きであり、そのために私たちも主につく者として自らを聖別し、真の祭司とされ、霊の犠牲を捧げ、主を礼拝するのです。これが私たちの得た栄光の務めなのです! |
1.神のご計画(=オイコノミア)
・神の家族を得、その家族の中で管理・配分・配剤を行うこと(エペソ1:10;3:2;テトス1:7)
・究極的には神の子たちの出現(ローマ8章)
2.神とまみえ、共に住まう条件(幕屋建造の条件)
@モーセの律法の扱い(出エジプト32章)
・石の律法を得た時の光景(ヘブル12:21)
・律法と幕屋の建造の指示を受けてモーセが戻ると民は金の子牛を礼拝していた
・モーセはその石板を砕く(19節)→石の律法は人を裁き、罪に定めるもので(2コリント3:9)、裁きと死をもたらす(同3:7)
・民を聖別する(出エジプト32:26,28,29;参照マタイ10:37)
・贖いのために主の元に上る(30節)→イエスのわざの予型(ヨハネ16:10;17:13)
・二度目の律法授与(申命記10章)→アカシア材の箱を用意する(1節)=律法が箱で覆われる(ヨハネ8:5)
・契約の箱にしまわれる律法の石板(出エジプト37章)→贖いの蓋(ヒラステリオン)で覆われる(ヘブル9:5)→キリストがまことの贖いの蓋となられた(ローマ3:25=ヒラステリオン;1ヨハネ2:2;4:10=ヒラステリモス)
A新約の律法=いのちの御霊の法則(ローマ8章)
・レビ系からメルキゼデク系への変更(ヘブル7:12)→律法はいのちなるキリストのうちに隠され、私たちはいのちの御霊の法則に従う時、自動的に立場的に義とされ、主観的に義を得ている(1コリント1:30)
B新約の務めは人を義とし、いのちを与え、キリストの形へと作り上げるもの(2コリント3章)→幕屋の建造の実体・実際
■暗証聖句:ローマ3:25,26;8:1;1ヨハネ2:2;4:10;ローマ8:1
・神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。・・・それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。
・この方こそ、私たちの罪のための―私たちの罪だけでなく全世界のための―なだめの供え物なのです。・・・私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
・今やキリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない。
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