Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2006.01.29



神のエコノミーQ

−現代の祭司の務め−

現代は非常に大きな激流の中に置かれています。その激流の中で人々は皆自分の生存を保つために、自分のことで精一杯です。「セルフ」がすべての価値基準とされ、物事の判断も自分にとってどうかがすべてです。キリスト教界でも自分の必要を満たしてくれる処を求め、多くの心病む人々がさ迷っており、一方で人の目に訴えるメガチャーチや様々な教え・ミニストリーが流行しています。一見して御言葉を用いているようですが、どの動機はすべてセルフ(自己)にあります。私たちの動機は自己ではなく、キリストです。このような流れを生み出す者はアイオーンと呼ばれており、時代を司る霊であり、神から人々を引き離し、神を排除する霊です。時代は勝ち組負け組みと呼ばれる二分化社会を作り、そこから逃げる400万のフリーターや80万のニート、100万の引きこもりを生み出しています。しかし神は公義をもって治めておられます。私たちはこのような人の目を惹くムーヴメントを動かす霊に関わるのではなく、神と人の和解を勧める祭司の霊に満たされる必要があります。地道に、小さく、自分の存在や力を誇示するのではなく、和解ととりなしの務めに与るのです。それはセルフを神に委ねた、セルフを省みるのではなく、神と人の必要を顧みる務めであり、決して人目を惹くものではありません。礼拝も同じです。自己満足や自己実現のためのものではなく、セルフから離れた、ただキリストを拝するだけの礼拝を捧げる必要があります。そのために祭司の霊に与る必要があります。



1.神のご計画(=オイコノミア)

・神の家族を得、その家族の中で管理・配分・配剤を行うこと(エペソ1:10;3:2;テトス1:7)

・究極的には神の子たちの出現(ローマ8章)


2.幕屋建造の順序(出エジプト25-30章;1コリント2:9)

@契約の箱→パンの机→燭台→幕屋の幕→壁板・横木→至聖所の垂れ幕→入り口の幕→祭壇→庭→常夜燈→祭司服→聖別→祭壇→いのちの代償→手足の清め→聖別の油→香料

L現代における祭司の務め:

( i ) 現代の特徴:セルフ・オブセッション→すべてを自分から見て判断する(ピリピ2:21;ルカ18:8)

( ii ) その結果:自分の心を自分で狭める(2コリント6:12)

( iii ) 時代の霊(アイオーン;エペソ2:1-3)→自己を増長するセルフ・プロモーション(例 二分化社会、勝ち組・負け組み、メガチャーチ、パーパス・ドリヴンなど)

( iv ) 祭司の霊=とりなしの霊・和解の霊・神へと導く霊(自分へと惹きつけない)
   (1テモテ2:1;ピリピ2:3-4;マタイ5:24;2コリント5:18-20)


(v) 礼拝の動機:セルフ(自己満足)ではなく、ただキリストのゆえに捧げる

(vi) 選択の基準:低くされること、あざけられること、くずのようにされること、小さいこと、貧しいこと(欠乏ではない)、人目を惹かないこと・・・を求める(1コリント4:13;2コリント6:6-10)

(vii) 神の奥義の管理者の意識を持つ(1コリント4:1)


■暗証聖句:2コリント6:6−10;1コリント4:1

また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。