Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2006.02.19

神のエコノミー(21)

−二頭の雄羊−

雄牛が捧げられた後、2頭のおひつじが捧げられました。一頭は全焼の捧げ物として、一頭は任職のためでした。按手によってその羊にすべての罪が移転され、その血は祭壇に注ぎ出され、解体された後主になだめの香りとして捧げられました。キリストも同様に私たちの罪を負い、解体され、主に対するなだめの香りとされました。神は今その香りによって満足されています。もう一頭の羊もまた手を置かれ、その血はアロンらの右の耳たぶ・右手の親指・右足の親指に塗られました。これは私たちの聞くこと・行うこと・歩むことがすべて主の血の支配下にあることを意味します。私たちのあり方すべては主の血の証印を帯びているべきなのです。また聖別の油が衣服に注がれました。これによって彼ら自身もみな主のものとされるのです。解体された羊の脂肪や肝臓の一部などは油を混ぜた酵母を入れないパンなどと一緒に主に対する香りとして燃やされました。そして任職の羊の胸の肉とももの肉を聖別して調理して祭司が食べました。これは祭司は主の御胸の中に入ることができること、十字架の力に与ることができることを意味します。これが祭司の特権です。この任職の儀式は7日間毎日行われました。私たちの生涯を通して成し遂げられる主のみわざを意味します。かくして祭壇に触れるものはみなきよくされるのです。



1.神のご計画(=オイコノミア)

・神の家族を得、その家族の中で管理・配分・配剤を行うこと(エペソ1:10;3:2;テトス1:7)

・究極的には神の子たちの出現(ローマ8章)


2.幕屋建造の順序(出エジプト25-30章;1コリント2:9)

@契約の箱→パンの机→燭台→幕屋の幕→壁板・横木→至聖所の垂れ幕→入り口の幕→祭壇→庭→常夜燈→祭司服→聖別→祭壇→いのちの代償→手足の清め→聖別の油→香料

M祭司の任職(出エジプト29:15-37)

( iii ) 二頭の雄羊:

・1頭は捧げ物(18節):按手によるアロンらとの一体化(罪の移転;1ペテロ2:24)、血は祭壇に注がれ、主はなだめの供え物(ローマ3:25;エペソ5:2)

・1頭は任職のため(22節):按手によるアロンらとの一体化、右の耳たぶ・右の親指・右足の親指に血を塗る→聞くこと・行うこと・歩み方の聖別;血は祭壇の4側面に注がれる;血と油の注ぎによって完全に主のものとなる

・奉納物:脂肪・油尾・内臓を覆う脂肪・肝臓の尾状葉(おいしいところ:マタイ3:17)・右のもも肉(力)+酵母を入れないパン(砕かれて焼かれた主)・油をまぜたパン(聖霊を無限に受けた主;ヨハネ3:34)・薄焼きパン(こねられて伸ばされた主)を全焼の捧げ物と共に宥めの香りとして燃やす

・任職(マータ・イャド)とは「手を満たす」こと→奉仕のための条件は満たされていること

・アロンらの食用とされた→キリストの十字架の力(もも)と神の愛の懐(胸肉)に与ること

・条件:祭司のみが食べることができ、1日のうちに食べる(cf.マタイ6:11)

・7日間繰り返される→任職は完全な安息を伴った完全な霊的儀式=私たちの生涯を通しての主の業による


■暗証聖句:1ペテロ2:24−25;ローマ3:25−26;エペソ5:2

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


注:メッセージの中で、良き地に入ったのはヨセフとカレブと言っていますが、ヨシュアとカレブです。また呪いを祈ることを「マラナタ」と言っていますが、「アナテマ」です。