本日は奈良のカナンキリスト教会のSalt氏(池本氏)にメッセージをお願いします。彼とは2,000年にイスラエルにご一緒して以来の交わりをいただいておりますが、鋭い霊的観察力で、その発言には啓発を受けております。昨日交わったことは、私たちの信仰生活において、私たちに何かが足りないから、その足りないものを補えれば私たちは完全になれるという思考パタンは罠であること。私たちには何が補われても完全になれることなどはなく、それは自己を中心においている信仰生活であって、常に敗北と失望の連続になることでしょう。私ではなくキリスト。自己に完全に絶望し、キリストに完全に委ねること。このスタンスを取るために、主はたとえばイエスを見ようとしたザアカイには桑の木を備え、ダビデの子イエスよ憐れんで下さい、と叫んだバルテマイは、視力はなくとも聴力が敏感になって、まことのメシアを識別できたのです。主は私たちの不足するものを補うのではなく、私たちをイエスご自身へともたらすために、環境を備え、時期を計らって下さるのです。これが万事を益とされることであり、その時ただイエスご自身だけが完全。父はイエスご自身だけを受け入れて下さる方。私たち新約の祭司はこのほふられたイエスを捧げ、イエスの香を立ち昇らせること、ただこれが任務であることを知るのです。自分に絶望した者は幸いです。内にいますキリストだけが望みであると知ることでしょう。
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