Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2007.08.26

神の国の奥義(21)


主イエスは完全なる神であると同時に、完全なる人でした。人として疲れも覚え、スカルのヤコブの井戸に座っておられた時、サマリヤの女と出会いました。当時のユダヤ人はこのサマリヤ人とは一切の交流を持っていませんでした。サマリヤ人は北王国がアッシリヤに滅ぼされた時に異教の民をそこにおいたのですが、それぞれの宗教に従って異教の神を礼拝し、また自分勝手にゲリジム山に礼拝所を作りました。そこは宗教の地域であり、ヤコブの井戸も自ら水の湧く井戸ではなく、雨などを貯める為のものでした。それは外からの満たしを求める宗教の象徴です。サマリアの女は渇きを覚えて、何人もの男と同棲していましたが、まことの満たしはありませんでした。私たちの渇きは世でも宗教によっても満たされることはありません。そのような女の元にイエスは人間として渇きを覚えつつ、水を求めることによって近づき、まことの渇きを止めるご自身を提示されたのです。これがまことの福音です。主イエスとのきわめて個人的な接触と交わりによるのです。正しい神学や教理によるのではありません。このお方こそが永遠のいのちを持ち、それを私たちに下さるのです。そして現在の礼拝の場は、あの山でもなく、霊と真理によるのです。御霊は私たちのうちに在りて在る方キリストを実体化し、すべての真理に私たちを導き入れ、その霊的事実の中で、個人的に主と交わり、主を拝する事ができるのです。これは人として来られたキリストが私たちにあえて来て下さったことによります。


<<週報メッセージアウトライン>>
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人となられた神E


■御言葉:ヨハネ4:1−26

@イエス、パリサイ人を避ける→コンフロンテーションの時ではない

Aイエス、疲れを覚え、女に水を求める→福音の端緒=人間の必要を覚える

Bサマリヤ人の由来(2列王記17:24―)

Cイエス、生きる水を提示する→女の必要に対する感受性

D井戸は外からの水を貯めるが、イエスの水は内から湧き上がる

E真実を指摘する→女が逃げる=神学的に議論に話題を逸らす

Fイエス、議論に対する回答を提示せず、ご自身を提示する

G福音とはイエスとの個人的出会いと交わり


■暗証聖句

4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

4:7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

4:10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

4:11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

4:24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

4:25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」

4:26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」