Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2007.09.09
イエスは五千人の給食を行いました。人となられた神は私たち人間の必要を顧み、満たしてくださるお方です。私たちのリソースが尽きるとき、主は私たちの信仰を試されますが、それは私たちがますます主に頼るようになるためです。ピリポのようにお金の計算をしたり、アンデレのように所有物で判断したりしますが、私たちが持つ僅かな物であってもそれを主に捧げ、委ねる時、五千人が満腹するのです。主は過ぎ越しの日の辺りに弟子と共に自らも山に座られました。私たちも主と共に天の座に座らされています。主は過ぎ越しにほふられたように、人間的なものの終わり、つまり最初のアダムの終わりとなり、初穂として復活されました。大麦は初穂であり、復活を意味します。そしてパンと魚といった、日常にごくありふれた物によって、主は私たちを満腹させて下さるのです。そしてくずが12のカゴに一杯になります。くずは溢れる主の恵みであり、ツロの女が得た幸いであり、パウロが恵みは無駄にしてはならないと言うように、主もそれを無駄にされませんでした。このようにして主の統治は、座ること、満腹すること、恵に与ることに成就されます。私たちの希望が費えるように見えるとき、人にはできないことも神にはできるのです。問題は私たちが何を見るか、何を当てにするか、何を頼りとするかにあります。また誰の統治に服し、誰によって満足させていただくかにあります。主は人間生活のごくごくありふれた物を私たちが捧げる時、それは天的な尊い物と変えられます。日々そのくずを決して無駄にしないように集めること。それは神の統治をもたらすコツです。
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<<週報& メッセージアウトライン>>(pdfファイル)
■御言葉:ヨハネ6:1−15
@イエス、ガリラヤ湖の向こうに、群集もついてくる→動機は徴を不思議を見たから Aイエス、山に登り、弟子たちと共に座る→主の統治のあり方(エペソ1:20;2:6) B時期は過ぎ越しの祭りの時期(3-4月)→主の死(=人間的なものの終わり) Cピリポの信仰を試す→ピリポはベツサイダの出身(ヨハネ1:44)で、地元の人間;主は適材適所 Dピリポとアンデレの反応:金を計算する;少年の持ち物-5(人の責任)つの大麦(復活、cfレビ23章;1コリント15:20)のパンと2匹(証の数字)の魚(日常のありふれた物) Eイエス、5,000人の群集を草地に座らせる F主のサプライは「欲しいだけ」(cf.ヨハネ14:13;15:7)→人にはできないが、神にはできる(マルコ10:27) G人々は満腹し、くずが12かごに一杯→神の国の統治のあり方;12は神の統治(1年の月数、イスラエル部族、祭司の胸当ての宝石、新エルサレムの門、弟子たちの数etc.) Hくずを無駄にしてはならない→ツロの女の受けた恵み(cf.1コリント15:10;2コリント6:1) Iイエス、ご自分を持ち上げる人々から去る
■暗証聖句 6:11 そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。
6:12 そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」
6:13 彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。
エペソ2:6 キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
2コリント6: 1 わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
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