Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2007.09.16
私たちの信仰とは永遠のI AMなる受肉された方を知ること、実体化することです。それは神が遣わしたイエスと一体となることです。神のわざを行うことは、その方を信じる事、その方の死と復活に結ばれて、制限されることのなき霊的な存在とされた方にあって、新しい創造とされることです。私たちはしばしば肉の目によって人を判断し、神のことばを聞き漏らしたりします。神はしばしば低い存在を通して語るのです。私たちの目が自分の腹を満たす事、自分の立場を得る事、自分の生存を守る事に置かれているならば、私たちはキリストを見損なうでしょう。私たちがキリストから離れて舟に乗る時、しばしば嵐に見舞われます。そして主は不思議な方法でご自身を現しますが、私たちはそれすらも恐れてしまうのです。主から離れた私たちは恐れに満ちてしまいます。鍵はつねにこの「ある」を内に実体化し、この方に頼り、この方を信じる事です。信じるとは、その方の中に入る事、その方とひとつになることです。主は天から下ったいのちのパンです。このパンを食べる事は信仰によります。この時私たちは飢えることなく、渇くことなく、永遠のいのちを今の肉にある生活にあって楽しむことができます。そして終わりの日に私たちはよみがえらされ、体も新しい霊の体へと変えられるのです。目の前の事実によって振り回される事なく、永遠のパースペクティヴの中で生きることを学びましょう。私たちの運命は輝きに満ちたものであるのです!
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<<週報& メッセージアウトライン>>(pdfファイル)
■御言葉:ヨハネ6:16−40
@弟子たちイエスから離れて舟に乗る→イエスから離れる私たち A嵐に会う弟子たち→イエスの訪れ(水の上を歩む)は私たちの思いを超える Bイエスを探す群衆→彼らの動機は、しるしを見たからでなく(=イエスのアイデンティティの認識できない)、肉の満たしのため(ピリピ3:18,19) C永遠のいのちのための食べ物=イエスご自身 D群集の訴え:神の業をするには何をすべきか(=宗教の問い);イエスの回答:神が遣わした者を信じる事 E群集の挑発:どんなしるしをしてくれるか?先祖の誇り(=肉の系列のプライド;cfピリピ3:1-11) Fイエスのアイデンティティの提示=天からのパン(2コリント5:16) ・イエスの元に来る者は飢えない ・決して渇かない ・父が与える者がイエスのところに来る ・イエスは決して追い出さない ・イエスは自分の意志を行うのではない、父の意志を行う ・終わりの日によみがえらせること ・イエスを信じる者が永遠のいのちを持つ
■暗証聖句
6:20 イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」 6:29 イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」 6:35 イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
2コリント5:16 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 同5:17 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
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