Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2007.11.25
イエスは人となられた神でした。人として、霊と魂、そして肉体を持たれました。私たちとまったく同じ弱さを身にまとい、すべての試みを受けられました。そして感情においても豊かな表現を持たれました。しかし親しい友人ラザロの死に対して、イエスは普通の人々とは違う反応をされました。それはあくまでも神を中心に置き、神の御心と真実、そして栄光のチャンスと判断していました。イエスにとっては何らの絶望とか、暗闇とかはなかったのです。人の不真実は神の真実を証する機会です。一方マルタはきわめて人間臭い対応をしていました。今日クリスチャンの間でもよく見られる判断・行動パタンです。主観的な配慮と判断、つまり思い込みをいだくのです。主にすらアドバイスします。しかしマリアは主の御足の元に平伏しました。それが主の心を動かしました。主は人間としての情緒・感情を自由に表現する事ができました。しかしその状況に飲まれるのではなく、父が自分の願いに答えてくださる事を知っていました。信仰はすでに得たと分かることです。そのとおりに与えられます。これは御霊の内的確証といわれ、理屈を超えて、分かるのです。 I KNOW THAT I KNOW. 神は真実であり、あらゆる私たちの失敗や困難の中で、ご自分の知恵と能力と栄光を証明される方です。信じないユダヤ人ではなく、ますます信じる者となりましょう。
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<<週報& メッセージアウトライン>>(pdfファイル)
■御言葉:ヨハネ11章
@ラザロの病気の目的(4節):人の不真実は神の真実・栄光(創世記50:20;ローマ3:7) Aイエスのタイミング(6節):人の要求・期待と神の回答のズレ Bユダヤでのリスク(9,10節):光(=イエス)と共にあれば安全 C悲劇に対する主の見方(14,15節):トマスの血肉的反応(16節) Dマルタの行動パタン(20-28節):人間的配慮と要求がましさに満ちている(マニュピレーション)→神をマニュピレートすることはできない Eマリアの行動パタン(32節):主をひざまづいて拝する→主を動かす(33,35節) Fイエスの人間としての反応(33,35,38節) Gイエスの父に対する信仰(41節):信仰の瞬間には「得た・解決した・癒されたetc.」分かる→I KNOW THAT I KNOW.(内的照明) Hラザロの蘇り→あくまでもアダム系の肉体においてであり、復活とは違う Iユダヤ人の反応(45-57節)
■暗証聖句
11:4 イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」
11:9-10 イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」
11:40 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
11:41 イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 11:42 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。
創世記50:20 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。
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