Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2008.03.02
バビロンは神の神殿の祭具を弄ぶことにより神の裁きを受け滅びます。メディアとペルシャに分かれますが、メディアの王ダレイオスは神の霊が宿るダニエルを信認し、行政を任せようとしますが、部下たちの姦計により、ダニエルは獅子の穴に囚われます。この世の君も私たちに対して種々の策略をもって挑発し、また試みに落とそうとします。時にはダニエルのように、自分が罠に落ちると分かっていても、あえてその罠に落ちる必要もあるのです。しかしこの時もダニエルがなした事はただ主に信頼していたことでした。私たちが神に対してなし得る最高の業は、神が遣わされたお方をただ信じることです。信頼は相手を最高に栄光化するのです。信頼とはその相手との関係において養われるのです。私たちが持っている父は、天地を造られた神です。その方にできないことがあるはずがありません。私たちの健やかさを願うのが父なる神です。ダニエルに対する王の配慮はちょうど天の父の心を現し、同時にとりなしをする祭司キリストの心を現していると言えます。私たちがいかなる試みに会うとしても、私たちは放置されているのではなく、こういう顧みと保護と祈りの中に置かれているのです。私たちは三位一体の神の善意の中に永遠に置かれているのです。サタンはその悪意と手法を持って私たちに関わってきますが、彼の業は三位一体の神によって封じられるのです。鍵は私たちが神を信じる・信頼することです。こうしてついに王はダニエルの神を認め、崇め、賛美するに至るのです。私たちの出会う試練はすべて神の善意の中に包まれているのです。死のトゲはすでに抜かれました。大いに主の中に憩いましょう。
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■ダニエル5−6章
@ベルシャツァル王の宴会:神殿の祭具を弄ぶ(1-4節)→祭具の本体はキリスト(コロサイ2:17;ヘブル10:1)であるから、恵みを無駄にすること(ガラテヤ2:21) A神のメッセージと神の裁き(5章):メネ、メネ(数える)、テケル(計るりが不足)、パルシン(分ける)→メディアとペルシャへ分裂;私たちも主によって計られ、不足があることが分かるが、この不足を埋めるのが恵み(ローマ12:3;エペソ4:7) Bダレイオスに信認(6:4)と部下たちの姦計(6-10節)→ダニエルを罠に落とすためだが、ダニエルは信仰の行動を変えない(11節);サタンの策略(意図;2コリント2:11)とサタンの策略(方法;エペソ6:11)を知るが、あえて罠に落ちることも必要(BC.539頃) C王の葛藤(15節)と祈り(17節)と処刑の実行(18節)とダニエルの無事の確認(21-23節);理由:神を信頼していたから(24節;ヨハネ6:29)→王の心は天の父の心の型であり、また大祭司キリストの心の型であり、遣わされた天使は聖霊の型 D量り返される部下たち(25節):自分の量りを適用される(マルコ4:24)、裁きを免れるコツ=憐れみ(ヤコブ2:13) E王の賛美(27-29節)→私たちの試練は神への賛美となる!
■暗証聖句
6:4 ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。
6:24 王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。
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