Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.09.07


流れるままに(2)

流れるままに(2) 本日はDr.Lukeのメッセージはありません。御霊の風はどこからどこへ吹くのか分かりません。いわゆる主日礼拝と称する儀式に陥るならば、それは宗教です。私たちは生ける神との交わりを求めているのであって、自分を満足させてくれるメッセージや自分の人生を高めてくれる教えを求めているのではありません。形ができるならば、私はそれを壊したいと思います。それぞれが主を直接に求めているかどうか、主ご自身だけで満足しているかどうか、主に自分を明け渡し、捧げているかどうか、祭司の務めを果たしているかどうか。またここで問いたいと思います。御霊の流れに任せて、新鮮なキリストの息吹きを受けましょう。そして誰か特定の人のメッセージを聞きに来るのではなく、全員が預言者なのですから、兄弟姉妹の中に与えられた主のことばを分かち合いたいと願います。前から言っている通り、KFCはDr.Lukeの教会ではありません。主のものであり、主のために、主にあって運営され、主のことばを分かち合い、兄弟姉妹の交わりに与るのです。いわゆる恵まれる牧師の説教を聞きたい人は、ニッポンキリスト教には立派な先生たちが大勢いますから、そちらに行くべきでしょう。私たちが求めるものは何か、ここで改めて主の前に出て、初めの愛に戻りたいと願います。(メッセージをしない予定でしたがしてしまいました。) 


<<週報メッセージアウトライン>>
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=神の御心はキリスト=


聖書:箴言22:8−22;創世記1:27;ヘブル1:1−10;ローマ8:22−25

(1)箴言22:8−22では三位一体の神があたかも創世記のように喜びの中で創造の業をされる→私たちもその喜びに与りたい

(2)私たちは新しい創造とされ、初穂なるキリストの霊を得ており、三位一体の神と共に新しい創造に参加している

(3)神の御心の中心はキリスト、キリストこそ新創造の中核であり、神の本質の完全なる現われにして、神の満足、喜び

(4)私たちの本質は罪における無力な存在→死と復活によるキリストトとの一体化によって、私たちも神の満足・神の御心の中心とされた