Kingdom Fellowship Church
<<週報&メッセージアウトライン>> (pdfファイル)
聖書:民数記11章;イザヤ55:11;ピリピ3:10−11;コロサイ1:24 @苦しみの種類:罪・不従順の結果としての不毛な苦しみといのちへと至る熟成するための苦しみ(cf.ヘブル2:10;2コリント7:9-10) A重荷を共有する原則(民11:17):霊を分かち合う→真のモーセはキリストであり、私たちは彼の霊を分け与えられて、キリストと苦しみと重荷を分かち合うことができる(ピリピ3:10-11;コロサイ1:24) B苦しみを担うことは主の栄光に与ること(1ペテロ4:13)→いわゆる「ハッピーになれる福音」や「リバイバル音頭」は浅薄であり、一種の霊的詐欺 C民の不平に対する主の証し(民数記11:23)→主の業はすべて御自身を証するもの
・主はモーセに言われた。「主の手が短いというのか。わたしの言葉どおりになるかならないか、今、あなたに見せよう。」 ・そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。 ・今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。 |