Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.11.23


流れるままに(13)

聖書が自分を否み、十字架を負えと言う時、それは私たちの魂(思い・意志・感情)と体の働きを停止することではありません。問題はその機能を使うのは誰かと言う問題です。私たちが生まれながらのエネルギーによって生きるとき、その様は肉と呼ばれます。私たちの内にいますキリストの御霊にある神のエネルギーが魂に流れ込み、体を用いて、神の意志が実行されることを神は願われます。ですから私たちの責任は明け渡すことになります。この御霊のエネルギーが内側に循環する時、いのちが満ち溢れる経験をすることができます。この内にある御霊のエネルギーは死ぬべき体にすらいのちを与えます。こうして私たちは霊→魂→体と健やかさが満ちるようになります。これが主観的聖の実現です。そしてそれはすべてすでに十字架でなされているキリストの御業に基づくのです。私たちがこれから何かを達成するのではありません。すでになされている事を、私たちが追体験するだけなのです。これが私たちの内に生きる生きるキリストの体験です。地上におられた時のキリストが経験されたことが私のものとされること。すべてはキリストに始まり、キリストによって成就され、キリストにある私たちに伝達されたのです。この働きが御霊の仕事です。御霊はキリストのことばとわざ、そしてキリストご自身を証する霊であり、御霊によってよみ、あの二千年前の業が時間と空間を越えて私化されるのです。ますますその私化の経験を味わう特権を享受しましょう。救いがあらゆる領域に満ち溢れるでしょう。 


<<週報メッセージアウトライン>>
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=勝利を共有する=

聖書:詩篇44:4-9;49:14-15;エレミヤ2:13;ヨハネ14:19

@いのちの源泉:私たちは何かを「いのち」として生きる→エネルギーをどこから汲むか(cf.ヨハネ2章;エレミヤ2:13)

A勝利の原則:霊的戦いはすでに終っている(ヨハネ19:30;マタイ28:18)→主の苦難を共にするならば、栄光を得る(ローマ8:17)

B誰がなすのか:主ご自身(キリスト)vs.私(セルフ)→詩篇44:4;49:14

C私たちの魂(思い・意志・感情)と肉体は破壊されるのではなく、主の御霊からのエネルギーによって、用いられる→エネルギーの源泉の切り替えこそが十字架


●暗証聖句●

先祖が自分の剣によって領土を取ったのでも/自分の腕の力によって勝利を得たのでもなく/あなたの右の御手、あなたの御腕/あなたの御顔の光によるものでした。これがあなたのお望みでした。わたしが依り頼むのは自分の弓ではありません。自分の剣によって勝利を得ようともしていません。我らを敵に勝たせ/我らを憎む者を恥に落とすのは、あなたです。我らは絶えることなく神を賛美し/とこしえに、御名に感謝をささげます。

まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて/無用の水溜めを掘った。水をためることのできない/こわれた水溜めを。

しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。