Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2008.12.14


流れるままに(16)

今年最後のメッセージです。私たちの霊的生活はすべからく主に聞くことによります。恵みを経験するのも、成長するのも、すべてはよく聞くことができる人になることです。多くの人々は自分のことで占有されているために、主の言葉を自分が聞きたいように聞くだけです。自分の思いがフィルターとなり、御言葉を選別しているのです。こういった思いが歪み、病んでいる人は何年経っても年は取りますが、まったく成長しません。聞いていないために、癒されることがないのです。かくしてますます貧しくなります。私たちがすでに得た救いをいかに味わうかは、まさにそれぞれの自己責任です。持っている者はますます豊かに、持っていない者はますます貧しくされるのです。今主はこのニッポンキリスト教と言う病んで倒錯した世界を引っくり返そうとされています。2009年を展望するに、篩い分けはますます進展し、このギョウカイ、多くの悲惨と混乱が満ちることでしょう。しかしこれは幸いなことです。有名な先生たちが次々に落ちるでしょう。信徒は散らされ、叫びが上がるでしょう。このような中で真に御霊に頼り、主の声を聞くことができる人々は幸いです。彼らは何がおきても揺り動かされません。主の御言葉は私たちの魂を救う荒波に抗する堅固な錨です。エリヤが嵐や地震の中では聞こえなかった静かな主の声を聞いた場面を想起しましょう。それによって彼は勇気と力を得て、イザベルと対決したのです。そのために御霊が与えられました。御霊は私たちにイエスの言葉を思い起こさせ、イエスに栄光を与える霊、私たちの内にイエスを実体化する霊なのです。真理の御霊はすでに私たちのうちにおられます。この方に頼るかどうか、それとも外なる人間のコトバに頼るかどうか、私たちは思いをいかに用いるか、その責任を負っているのです。2009年に向けて、主に対する献身と、主に対する明け渡しの意思表示を新たにしましょう。 


<<週報メッセージアウトライン>>
pdfファイル)


=聞く耳を持つ=


聖書:イザヤ6:10;30:21;32:3;エゼキエル12:2;ローマ1:20;黙示録2−3章

@時代のキーワード:「篩い分け」−心の中の動機に従ってクリスチャンが分けられていく
Aジュリアス・シーザーの言葉:人は自分の聞きたいことだけを聞く→成長変化の欠如は御言葉を聞くことができないため(イザヤ6:10;32:3;エゼキエル12:2;ローマ1:20)
B魂のフィルターを除く必要性(ベックの認知の歪み)→十字架による割礼の必要性
C魂の位置:御言葉(ロゴス)と霊の出会うポイント(特に「思い」がクリアである必要がある)
D耳を聖別する(出エジプト29:20)→思いの置き所(エペソ4:17;ローマ8:6,7;2テモテ2:8)→聖霊に頼ることによる照明(ヨハネ14:26;ローマ8:27)→いのち(レーマ=ロゴス+霊)となる(ヨハネ5:25;6:63)
E神の原則:聞く耳のある者は御霊が語ることを聞くがよい(1列王記19:12;黙示録2-3章)→聞かない人、聞けない人の歩みと成長はそこまで→ふるいわけ
F2009年の展望:心の動機の暴露とふるわけと宮清めが進展する→見かけ上さらなる混乱と混沌が起きる=真に主につく者とそうではない者が分けられる
G霊的歩みの原則:十字架を選ぶ=低い道、人の目に麗しくない道、評価されない道→究極の選択は「自己」か「キリスト」か

●暗証聖句●

この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。

そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、

知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。

命を与えるのは"霊"である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である

耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。