キ
リストにとどまる
今
週、Dr.Lukeのメッセージはお休みですが、ゲストとしてシュガーさんが
メッセージを行う予定です。本
日のショートメッセージは「キリストにとどまる」です。「とどまる」には、英語
では abide
in、ギリシャ語ではメノー(μενω)という言葉が使われています。与えら
れた場所、状態、関係にとどまるという意味で、ヨハネが多用した言葉です。例えば、ヨハネ福音書にあるぶどうの木のたとえ(15章)ではイエスがぶどうの
木で、私たちはその枝、そして御父が農夫であり、ぶどうの木であるイエスにとどまるように話されています。「とどまる」とは静的な状態を示すように取れま
すが、霊的には静であっても、何もしないことではありません。1ヨハネ2:6には、キリストのように歩めとあります。また、ぶどうの枝に対して、多くの実
を結ぶため、農夫である御父が刈り込みをされるとも示されています。霊的に休んでいる状態と、神の指示によって行動している動的状態が同居しているのが
「キリストにとどま」っている状態なのです。その結果、神が大いなる栄光を受けます(ヨハネ15:8)。パウロは、各々はキリストの御体の器官であり、異
なった賜物を持っていると語っています。教会で「お客さん」になることなく、与えられた賜物を十分に用い、大いなる実を結びましょう。
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