Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.05.31

まことの豊かさ

私たちの父は農夫です。農夫はひたすら種をまき、水を注ぎ、剪定を行い、収穫を迎えます。種を豊かに蒔いた者はその蒔いた種の実を豊かに刈り入れます。ニンジンの種を蒔いて、米を刈り取ることはないのです。この意味で私たちは生きることは、すなわち何かを蒔いていることと知るべきです。神はご自身の豊かさを証しされるために、宇宙で最も高価な御子を死に渡されました。御父は御子という種を蒔かれたのです。それは死んで、その殻の中に閉じ込めていたいのちを解放しました。その方が今やいのちを与える霊的な存在として聖霊によって私たちのうちに蒔かれました。このいのちは自然とそのDNAに従って実を産出するでしょう。私たちも生活もその実であり、もし私たちが父の豊かさを経験したいのでしたら、私たちも豊かに種を蒔くことです。最も悲惨な貧困とはこの蒔くべき種をすら自分の命を保つために食べてしまうことです。今日、ニッポンキリスト教の貧困さもまさにこのことの証明です。すべて自己が座標軸の基準であり、I,My.Me,Mineに満ちている現状です。しかし霊的原則は蒔いた物は死に渡されるのです。するとそれはいのちを芽吹くのです。その意味で私たちは常に自分の人生の締めくくりを考えましょう。その時に自分が何を収穫できているであろうかと、今のうちに蒔くべき種を主から備えていただきましょう。そして豊かにまきましょう。それは大いなる祝福のうちに豊かな実を産出することでしょう。


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聖書:1コリント15:36−37;2コリント9:6−10

@父の仕事はまことの農夫→子も同じ働きに与る(ルカ10:2)
A農業のサイクル:種まき→手入れ→成長→刈り入れ
B種まきの原則:
 ・まいた物は一度死を経ること(1コリント15:36-37)
 ・豊かに蒔く者は豊かに刈り取る(2コリント9:6-10)
 ・貧しさの悲惨さ→蒔くべき種を食べてしまう(cf.1コリント16:2)
C人生の終わり方に備える→生きることは、すなわち、蒔くこと


●暗証聖句●

Tコリント15: 36-37
愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。

Uコリント9: 6-10
つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。

ガラテヤ6: 8
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。