預言を求めて-教会の徳のために-
主の公生涯の時代に、「みことばはあなたの心にある」といわれるのと、今日の私たち信仰者の間でそれを言うのでは意味合いが大きく異なります。前者は当然、旧約の御言葉(申30:14)を引用しているのであり、断片的・限定的であり、情報として持っている’御言葉’を指します。後者はペンテコステ以降、聖霊が地上に下り、御名を信じる一人一人の心に住むキリスト本体(ホ・ロゴス)の’ことば’を意味します。この後者を前提条件に「私たちみなかわるがわる預言し、すべての人が学び、すべての人が勧めを受けること」が可能となります(Iコリント14:31)。ところで、私が今まで見聞きした多くの教会では、カトリック、プロテスタントを問わず、その組織がピラミッド型(ヒエラルキー)になっていて、預言と称するものが上意下達的にもたらされているのです。その内容に関してすべて否定するわけではありませんが、その構図に違和感を覚えるのです。私がイメージしているのは、ブリザード(地吹雪)です。冬の青森県津軽平野北部によく見られるように、日本海側からの強風で雪が横なぶりに降りそそぐのと同時に、既に積もった雪が舞い上がる現象です。これはヨエルの預言(ヨエル2:28-29)であり、KFCをはじめ’いのち’がフラットに拡大生産されたそれぞれのエクレシアの’徳’となることを楽しみにしています。 |