Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.08.02

いのちを楽しむことの永続性

ヒトとして‘いのち‘を楽しむ、あるいは追求するときは、ヒトを構成するそれぞれのパーツ(霊、魂、肉)が持っている’いのち’(霊:、魂:、肉:)全体の追求です。しかし、このことは生まれながらのヒトでは「罪からくる報酬は死」とあるように、神の御前に霊が死んだものとして(交わりができないまま)善悪路線の中では不可能です。しかしイエスを主と告白できた者、死と復活を信じられた者は「神の下さる贈物は私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」とあるように十字架から復活したいのちの路線上で可能となります(参考:ローマ6:23)。この路線上にある兄弟姉妹は主の再臨を待ち望み、そのとき完全な体の贖いがもたらされる事になります(参考:ピリピ3:20-21、Iコリ15:42-45)。そこで皆さんに交わっていただきたい課題があります。

1.主の再臨に続いて、千年王国、新天新地にある’いのちの木’の葉がどうしていやしに(薬として)用いられるのですか?
2.その葉はどのような効能ですか?


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参考箇所

エゼキエル47:2(47:1-12)、黙示録22:2