Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2009.10.18

礎石とつまづきの石

聖書には「石」という言葉が何度も用いられており、イエスに関する表現にも石に関連した表現が用いられています。たとえばイエスは捨てられた石(使4:11)、礎石(エペソ2:20)、つまずきの石(1ペテロ2:8)など。イエスは王としてエルサレムに入場され、人々から「ホサナ」(マタイ21:9)と歓迎されました。しかしその1週間後に、同じエルサレムの人々に捨てられ、十字架にかけられました。正に捨てられた石だったのです。また、パウロは礎石であるイエスにあって建物全体が成長し、聖なる宮となると述べています(エペソ2:20)。一方イザヤは、イスラエルに妨げの石とつまずきの岩が置かれると預言しており(イザヤ8:14)、実際にイエスはエルサレムの人々にとってつまずきとなりました。このように、イエスは様々な石なのですが、何故主は礎石である一方、つまずきでもある石を用いられるのでしょうか。それは神の子供達の選別のためであり、選ばれた子供達がより深い神の御言葉を体験するためです。異なる土台を用いるとたちまち水に流され、礎石であるイエスの上に自分(セルフ)を立てようとすると、その礎石はつまずきの石となります。また立てあげたそのセルフはどれだけはなやかで立派に見えても、いずれ焼かれます。私たちはイエスが礎石であることを知っています。ではその上にセルフを立てあげることなく、聖なる宮を目指して立てあげて行きましょう。


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1.イエスは礎石(エペソ2:20)

1.1礎石とは、家全体にとって基本となるもの。ルカ6:47-49土台のたとえ

1.2礎石の上に飾りを建てない(1コリント3:10-15)土台の上に飾っても焼かれる。

2.イエスはつまずきの石

2.1 多くがつまずく(イザヤ8:14-15)

@小さい頃からイエスを知ってる人々
A当時の指導者、知識人や祭司達。⇒律法を守ることに頼ろうとした(ローマ9:30-33)
B当時の人々 
C ユダだけでなく弟子全員

2.2つまずきの石は選別のため、より深い、信仰に入るため。

他のものではなく、イエスだけにたよるように(イザヤ28:14-17)
みことばに従わず、セルフ、神学、人の言葉を優先する時、つまずきの石となる(1ペテロ
2:8)