キリストと共に(2)
昨年の最後のメッセージにおいて雅歌を引用し、若者はおとめの内面ではなく、その外面の美しさを愛すると述べました。若者であるキリストは、人の内面を良しとするではなく、外面を良しとして結婚相手を選びます。何故なら私たちの内面に良いものは全くなく、神の憐れみによって着せていただいたキリストの衣のみを良しとするからです。キリストを受け入れた者には、主がこの衣を着せてくださいます。アダムとエバが、エデンの園を追い出されるのに際して、神の憐れみによって皮の衣を着せられたのと同じです。自分では自分の罪を覆い隠すことはできませんが、神は裸の恥をキリストの衣で覆ってくださいます。しかし、この衣を着続けるかどうかは人次第です。この地に自分の力で生きることを教えられた人は、アダムとエバと同様に、いちじくの葉で恥の裸を覆おうとします。そして死の路線を歩むのです。まず、その自分の衣を脱ぎ、裸になることです。すると自然にキリストの衣に覆われていることに気づくでしょう。パウロは、この衣を着たいとうめいてさえ言っています。この衣を着ることで、「死ぬべきものがいのちにのまれてしまうため」です。わたしたちも自分の衣で罪を覆い隠すのではなく、このいのちの衣を着ることで、死からいのちへと変えようではありませんか。天の聖徒たちは白い衣を着て主を礼拝しています。神は地上でもその礼拝の一部を楽しめるように、手付金として御霊をくださいました(IIコリント5:5)。地上でもこの聖なるキリストの衣を着、天での礼拝を楽しみましょう。 |