主に従えない人々
当時の世界の王であるネブカデネザルはダニエルの神を認めてはいましたが、絶対的な権力をもつ彼は自分を神に等しい者としていました。しかし神によって野に落とされます。そして天を見上げ、真に神を知るのです。ヤコブは神に命じられて故郷のイスラエルに戻りますが、エサウに対する恐怖心から神と格闘します。ヤコブは神に勝ちますが、足腰の強さのもとであったもものつがいを外され、主に全面的に頼ることを知ります。マリアがナルドの香油を惜しげもなく注いだ時、社会的には正しいことを述べたユダは、真に主を知ることなく自殺します。一方、三度イエスを裏切ったペテロは、主の目を見、主に触れられることで悔い改めに至ります。自分自身や他の人、あるいは他の教えなど、神以外のものに頑固に頼っているとき、主の平安に入ることはできません。一方、私たちの生きておられる主はその頑固さに対していつも控え目です。それはヤコブに勝ちをゆずるほどです。その控え目な主の声、見つめる目に気づき、主に触れられると、その人の一生は大きく変わります。活きた、豊かな人生を歩み始めるのです。 |