御言葉と戯れる
幼子は目新しいものを求め、それと戯れます。親はその姿を見て、楽しみます。それは親にとっての幸福感を生み出すのです。同じように、私たちがご自身の言葉と戯れるとき、それは父なる神にとって大いなる喜びであり、神の幸福感を生み出します。私たちは常に何かを考えております。思いの中に想起される事柄が、私たちの感情や意志を決定します。御言葉と常に戯れるとき、それは私たちの想いが御言葉に浸されていることであり、御言葉が私たちの感情や意志を決定付けるようになるのです。神の言葉はキリストの言葉、信仰はキリストの言葉を聞くことから生まれます。信仰は天においてなされた事柄を、地上に実現化します。信仰が立ち上るとき、恵みが下ります。この信仰と恵みの往復こそが天から地に向かって立てかけられたヤコブのはしごなのです。そこには天使たちが下り上りしているのです。かくして私たちと天は直結し、天は地において表現されるのです。現在はまだ限定的ですが、いずれ完全に現れるでしょう。その前味わいを経験するのが、私たちの地上の人生です。すでに内にはキリストの御霊が与えられており、外側には御言葉が聖書としてあります。神の備えは完全です。あらゆる場面で御言葉を反芻し、御言葉を思い巡らし、御言葉と戯れることは天を味わうことです。その時内なる御霊が御言葉を各人にパーソナルな形で語りかけてくださるでしょう。するとそのとおりになるのです。かくして豊かな者はますます豊かになります。 |