ただ生ける神に頼る
私たちは霊においては再生され、新しい霊と新しい心を得た神の新創造です。しかしこの体は依然として古い創造に属しており、物質的な世界と関係しています。そしてこの身体には諸々の必要があるのです。ここでこの体の欲望をめぐって私たちの葛藤が生まれます。その欲望自体は罪ではありません。問題はその欲望をいかに満たすかです。神の定めた方法以外で、自分の方法で満たそうとすること、すなわち神からの独立が罪なのです。神は私たちのすべての必要をご存知でいてくださり、それを満たす手段と時を定めておられます。ここで問われることは、私たちの神への信頼、信仰です。パウロの言う肉(flesh)とはこの信仰と対立し、御霊から独立して、自分の方法と時に従って身体の必要を満たすことです。これには大脳辺縁系が関係していますから、身体の贖われるときまでは現実的には100%の完全はあり得ませんが、身体が贖われるときには、まさに100%の栄光が現れます。ここに私たちの望みがあるのです。私たちにはどれほどの地上の生活が残されていることでしょうか?問題は短かろうが、長かろうが、その日々の中でいかに主を知るかです。あらゆる環境や問題において、神の御手を見ることができれば幸いです。神は真実であり、不義な行為には裁きを、義の行為には報酬をくださいます。混乱の世に起きる事柄も、病んだニッポンキリスト教に起きる事柄も、すべては神の公義と真実を見る機会とすべきです。神は生きておられます。そして私たちの人生に積極的に介入されることを願われるのです。喜んで介入していただきましょう。
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