ただ小羊の血に頼る
私たちはイエスの血により贖われ、赦され、罪定めから解かれ、サタンの訴えを拒絶することができます。私たちはしばしば自分の何かを頼ったり、自分の失敗で罪定めされたりします。今日サタンの訴えは病んだニッポンキリスト教に蔓延しています。彼らはあらゆる偽りをもって、私たちを訴えています。その時、私たちが自分の価値や、自分の達成、自分の美徳などをもって応戦しても、敗北するだけでしょう。私たちが勝利し得るのはただ小羊の血潮によるのです。特にサタンに対しては血を宣言しましょう。彼はこの血に対しては何も言えなくなるのです。その力を最もよく知っているのはサタンだからです。私たちが贖われ、義とされたのは、ただこの血の故です。そして私たちの内的な罪定めの感覚を消し去るのもこの血です。血を自分自身に対して宣言しましょう。私たちは単純に罪を告白するならば、神は真実で正しい方ですから、必ず赦されるのです。あとは私たちの良心の清めです。すでに大祭司なるイエスが天の至聖所におられ、私たちのためにとりなしをしてくださっています。その契約の箱にはイエス自身の血が注がれているのです。ふたつのケルビムのようにただこの贖いの蓋を見つめましょう。神はすでにこの血を見て満足されています。この血はアベルの血よりもすぐれたことを語る血です。私たちが何者であるのか、神がどんな方であり、何をして下さったのか、サタンはどのように処理されたのか、私たちが何を得ているのか、すべての良き物をもたらす根拠はただこの血です。私たちが血を宣言し、血に感謝し、血に頼ること、それは神が幸福を感じられる瞬間です。 |