Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2010.04.11

主との交わり

“交わり”の原語はコイノニア(κοινωνία)ですが、教会でもしばしば用いられるのでご存知の方も多いと存じます。共通の目的や課題を持ち、行動を共にすること、あるいはその仲間という意味ですが、さらに述べると”いのち”を共有する仲間でしょう。客観的にクリスチャンは、既に主との交わりに入れられています(1コリ1:9)。そして実際に、主との
交わりを感じている人は幸いです(2コリ13:13)。また主との交わりは個人的なことです。すなわち指導者が主とどれだけ濃厚に交わっていても、その人本人の主との交わりには関係がありません。モーセは顔と顔とを合わせて語るほど主と親しい交わりをもっていましたが、荒野で一緒に生活をした数十万、数百万の民は主との交わりを知ることがなく、モーセがいないときに金の子牛を拝みました。イエスは完全に主との交わりの中にいましたが、身近にいた弟子たちはその交わりを知らず、イエスキリストを見捨て、イエスが捕えられると逃げ去りました。人々が指導者にどれだけ近づこうと、教会の中でどれだけ働こうと、その人の信仰には関係がありません。重要なのは個々人と主イエスキリストとの距離であり、指導者との親しい関係や教会の中でのつとめには関係ありせん。個々人が主イエスキリストの光の中を歩むこと、すなわち自立した信仰を持つこと重要です。自立した信仰を持つ兄弟姉妹が集まった時、そこには主イエスキリストがおられます(マタイ18:20)。これが私たちの交わり、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。


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1.コイノニア。
交わりコイノニア fellowship κοινωνία:共通の目的、課題を持ち、行動を共にすること、あるいは仲間。

客観的にクリスチャンは、既に主との交わりに入っているはず(1コリ1:9)。そして実際に、主との交わりを感じている人は幸い(2コリ 13:13、ピリピ3:10-11)

2.コイノニアは個人的なこと

主との交わりは個人的なことであり、指導者が主とどれだけ濃厚に交わっていても、
その人本人の主との交わりには関係がない。

モーセ:何十万人という民を率い、荒野で共に生活していたが、主と交わっていた
のはモーセひとり。

イエスキリスト:多くの弟子や聴衆に囲まれるが、主と交わっていたのはキリストひ
とり。結局全員離散。弟子たちは一時期でさえ、一緒に目を覚ましていることはで
なかった。マタイ26:36-41

人だのみの信仰は派閥を産み、組織を作り、結局宗教となる。1コリント 1:12-13、ゼ
カリヤ 7:5-6

重要なことは、自立した信仰

3.主イエスキリストを知ることによる、教会の発展。信仰の交わり。

エクレシアの交わりに加わる条件:まず血にあずかり、からだにあずかる。1コリ10:16

そして、光の中を歩み(1ヨハネ1:7)、信仰の交わりを行う(ピレモン1:6)

それによって志が一つとなる。ピリピ 2:1-2

チェックポイント:兄弟姉妹との交わりにキリストがおられ、感じることができるか?
1ヨハネ1:3 マタイ8:20