Kingdom Fellowship Church

Message Outlines

2010.04.18

ただ主の御言葉に頼る

私たちには内側に聖霊、外側に御言葉があります。詩篇119編の作者も神の言葉の力とそれを楽しむことを証ししています。実に読んでいると喜びがこみ上げる章です。私たちが信仰を全うすことができるのはひとえに御言葉によるのです。その御言葉を豊かにうちに蓄えるとき、時に応じて御霊が語ってくださいます。その語りかけを受けるとき、私たちは生かされるのです。主イエスはロゴスでした。神を説明する方でした。その方が語ったことばはレーマでした。それは霊であり、いのちでした。私たちを生かすのはその霊の塗られた主のことばです。ロゴスを単に白黒の文字として読むのではなく、私たちの霊をもって、信仰によって受け取るとき、ロゴスと信仰は混ざり合い、それは私たちにとって益となり、私たちを生かします。神はキリストにあって十字架ですべてを完成されました。それは時空を超えて、今の私たちに届いています。問題はそれを受け取る私たちの側にあります。私たちが霊によってそれを受信し、信仰を持って答えるとき、きわめて生き生きとそれが私たちの経験となり、いのちとなり、私たちを生かします。それはキリスト教と宗教ではありません。今ここに生きておられる神を、その御ことばを通して経験し、楽しみ、味わうことです。かくして私たちのいのちはますますリフレッシュされ、豊かにされていくのです。私たちが神のことばを尊ぶことは、実に神は喜んでくださるのです。


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御言葉:詩篇119:9;17;25;コロサイ3:16;ヨハネ6:63;ヘブル4:2


 @詩篇119編は神のことばの力を証し、それを楽しむ章
 
 A9,17,25節などの「ことば」は語りだされたもの(会話、しゃべり)
 
 Bヨハネ6:63の「ことば」は語りだされたもの(レーマ)
   
 Cコロサイ3:16の「ことば」は客観的真理を記述するロゴス

   <レーマ=いのち=ロゴス+霊>
 
 Dロゴスに信仰を混ぜるとき意味のあるものとなる(ヘブル4:2)

   <客観的真理+信仰=主観的経験>