主の栄光
旧約にあっては、主は幕屋にその栄光を表されました。新約の今、その幕屋は私たちの内にあり、私たちを通して主は栄光を表したいのです。では、聖書に示された箇所で、この世で主の栄光を表された究極の箇所はどこでしょうか?それはイエスの十字架の場面です。人々は、大いなる奇跡や超自然的な出来事を通しての、神の栄光の表れを期待します。そのため、にせの救世主たちは様々なパフォーマンスを聴衆に見せ、多くの人々はそれを見てだまされるのです。しかし神の方法は全く異なっていました。十字架という最も卑しく、惨めで残酷なイエスの処刑を通してその栄光を示されたのです。
その主の栄光を見て、まったく異なる反応を示す二人の罪人がいました。二人は主と共に十字架に付けられ、何もできない状況なのですが、一人はイエスの姿を見て悪態をつき、救われることはありませんでした。もう一人の罪人は、最初は悪態をついていましたが、惨めな十字架上のイエスに神の栄光を見て自分の罪に気づき、悔い改めます。この罪人たちは私たちそのものです。全人類は正にイエスと共に十字架に付けられ、死んだのです。しかし、イエスに主の栄光を見た者と、それに気づかなかった者で運命が全く異なってしまいました。終末のこの時において、パフォーマンスによって栄光を示そうとする人々が増えるでしょう。しかし、主の栄光は見栄えの良いパフォーマンスを通して現れるのではなく、十字架上のイエスのように、人が全く無力となった時に表されます。見た目に騙されることなく、真の主の栄光に気づくことがこれからますます重要となります。 |