Kingdom Fellowship Church


Message Outlines

2010.12.19

時代を聖書で見るH

私たちが囲まれている世界情勢を見るとき、終わりの時代の開始であることが分かります。同時に私たち神のエクレシアが待ち望んでいる主の再臨も近いことが分かります。私たちは多分、特別な時代に置かれており、文字通り携挙される可能性があるのです。ウォッチマン・ニーが牢獄で20年間も耐えたのは、まさにこの希望のためにだったと思います。私たちもその時を究極の希望として心待ちにする必要があるのです。すでに死んだ私たちは、復活のいのちを生きることにおいて、もっと貪欲になる必要があります。このいのちはすでに死に打ち勝ち、主の傷は病や貧困、圧迫、迫害など、敵のもろもろの攻撃に対して勝利したいのちなのです。私たちは携え挙げられる日へと向かって、地上の生を究極的に追求しましょう。私たちの得たいのちは無尽蔵であり、その中にある富を私たちはまだごく一部しか享受していないのです。信仰によって掘り起こしつつ、いのちの絶大なパワーを経験することを求めるならば、自ずといのちが熟していきます。熟した作物が刈り取られるのであって、それが携挙です。おそらく初穂としての密かな携挙と、刈り取りとしての公の携挙があると思います。私たちはこの密かな初穂の携挙を願いましょう。主とお会いできる日は近いのです。主よ、来たりませ!           


<< 週         報メッセージアウトライン>>
pdfファイル)

 


 

携挙の時期

@携挙(ラプチャー)とは:空中に挙げられる(1テサロニケ4:16-17)


Aその本質:収穫(マタイ16:38-41;黙示録14:14-18)



Bその時期:黙示録の構造と、ユダヤの祭りとの関係
 
・黙示録の構造:7つの封印、第7の封印の中身が7つのラッパ、第7のラッパの中身が7つの鉢


・ユダヤ教の7つの祭り:春-過ぎ越し、種無しパン、初穂、収穫;秋-ラッパ、贖罪、仮庵(レビ23章)



・ダニエルの70週目の開始時期:秋から秋



・携挙は秋の祭りと関係:最後のラッパ(=第7のラッパ、異説あり)と共に(黙示録11:15)
 →公の携挙(1コリント15:51-52)


・初穂がいる(黙示録7章の大群衆):おそらく春(=7年の中間の春)
 →密かな携挙(黙示録7:9;14:1-5)


・7年の前半は艱難=サタンと人の罪による;後半は神の裁き→クリスチャンは艱難を経る
が、裁きは免れる(免れぬ者もいる)