イエスに魅せられて
イエスは今メルキゼデク系の大祭司として、天的な現実の中で仕えられていますが、そこにある永遠を地上の影の中にご自身を介入させて3
年半の公生涯で成し遂げてくださいました。そしてダニエル書の第70 週めに突入して主を迎えに行ってくるため地上を離れるまでの3 年半を1
スパンとした場合、主はエクレシアに何を求めているのか、何を準備すべきなのか、どんな働きをすべきなのか、いろいろ思いをめぐらしますが、----実はこれらのことすら主が深く介入し、成して下さっています。私たちはとにもかくにも主と調和するために主の安息にとどまり続けるべきです。夫と妻が調和するのは当然じゃありませんか!このことに関して私はますます主イエスに魅せられています。ご自身のうちに神性と人性が実によく調和がなされていて、何の違和感もありません。---人の子は安息日の主です。アーメン!神の創造はご自身の言葉が無から有を産み出すことに向けられましたが、安息日を楽しむこと=被造物との相互の交わりに向けられています。「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。」のもとにパーフェクトに造られた人との交わりも(旧)創造と同様に満足いくものでした。似るということは決してイコールではありませんが、神は≒→=を願っていて究極の交わりを御子とその花嫁の完全な合体(一つ)に求めています。新創造には花嫁の言葉も参加します。そしてみなさん、新天新地での残された安息を主と共に享受しましょう。は前に戻りますが、週末の特に前半は@)賢い娘のような慎重さと、A)平素、主にあっての健全なものの考え方が重要となります。 |