Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2011.06.12

神の痛み

霊から生まれるものが霊であれ、肉から生まれるものが肉であれ、そのいのちの拡大・生産における痛み(産みの苦しみ)そのものは必然であって、決して罪の産物ではありません。ただ罪はその痛みをいたずらに増幅させてしまう性質があります。ですから人類に善悪の実を食べたことによる罪(単数形)が入り込んだ後、主は女に「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。」と仰せられました。そこで主の十字架ではなく、ローマ時代の処刑執行の形態である一般的は十字架刑について考えてみましょう。それは受刑者が持っている罪が痛みを増幅させ、最大限引き出せるものです。しかし主の十字架は明らかに違います。”罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見出せなかった方”の十字架は、私達エクレシアを生み出すための必然的な痛みのみです。かつ絶対的なそれは「エロイ、エロイ、ラマサバクタニ」-----三位一体の神が唯一バラバラにならなければならなかった神の叫びです。と同時に(時系列を取り除いて)生まれた側もまた御言葉が魂と霊を切り離して、霊から信仰の告白がもたらされました。たましいに一時的な痛みが生じたとしてもこれも必然です。主の十字架だけが持っている必然的な痛みが私たちエクレシアをいやしました。ハレルヤ!


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聖句:創3:16、詩16:4、Iペテロ2:22、マルコ15:33-37、42-44、へブル4:12、イザヤ53:4-5、(ヨハネ7:38)