Kingdom
Fellowship Church
Message Outlines
2011.07.10
主の十字架を直視する
実際の主の十字架にほとんどの弟子達はつまづきましたが、その中でマルタとラザロの姉妹マリヤ、マグダラのマリヤ、この二人のマリヤはある意味冷静に主の十字架を受け止めることができたと思われます。マルタの姉妹マリヤは一対一の主との深い交わりを通して’主のことば’を味わい、信仰を持って埋葬の準備をしました。この光景を見ていた他の弟子達は非難するばかりで何も理解できませんでした。「信仰は聞くことから始まり、 聞くことはキリストのことばによる」は正にこのマリヤを象徴しているようにも思えます。一方マグダラのマリヤはかつて7つの悪霊を追い出してもらいましたが、主が死に渡された後も一貫して主を追い求め続けていました。’たとえ話’でいえば、室がきれいに掃除されて主人が不在の状態のマリヤに’復活のイエス’が真っ先に現われてくれました。十字架で受けた傷は私達が(客観的に)癒されたことを’みことば’は語っていますが、私達信仰者はそれを主観的にも味わうべきです。それには主の十字架を直視(し続ける)べきです。信仰の入り口において置くべきものでも、置き忘れてもいいものでもありません。直視できたら癒しとともに甘さすら感じられるでしょう。 |
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