Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2011.07.31

自分の恵みに従って報いる

ヒゼキヤが王に即位した時のユダ王国は、背教が蔓延し、北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリヤやエジプトに挟まれ、国の存亡をかけたかじ取りが要求される時代でした。米・中・露といった大国に翻弄され、主イエスを信じる者がほとんどいない現代の日本と似ています。そのような状況下でヒゼキヤ王は宗教改革を断行し、アッシリヤが侵略した際には主に頼りきり、死が近いことを宣告された時は涙ながらの祈りによって15年の寿命延長を神に許されました。そして主に信頼した王として聖書に紹介されています。
 しかしそのヒゼキヤも、バビロニアの使者を受け入れ、ユダ王国のすべてを見せてしまった事で、後のバビロン捕囚のきっかけを作ってしまいました。聖書には「自分に与えられた恵みに従って報いようとしなかった」とあります。与えられた恵みに報いるとは、主に感謝を捧げることです。そのためには、日々与えてくださる主の恵みを感じていることが必要です。今も主は私達に大いなる恵みを与えておられます。そのことを敏感に感じることができる人達は、日々自分中心の祈りではない、主が中心となる祈りを捧げている人たちです。聖書に預言された事象が既に目に見える形で起きている現在、主が与え続けてくださっている恵みに報いて毎日を過ごす事がますます求められます。


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1. 病気を癒されたヒゼキヤ II列20:1-11、イザヤ38:1

主に死を宣告されるが、ヒゼキヤの祈りを主が聞き入れられ、寿命が15年延長

何故聞き入れられたか:祈りが主の御心と一致

2. ヒゼキヤの油断 II列20:12-19、イザヤ39:1-8

生命の保証、経済的な豊かさ+尊敬 ⇒高ぶりの要因

欲と自慢はこの世から出る Iヨハネ2:16

ヒゼキヤの悔い改め II歴32:25-26、II列20:19

    ⇒ ヒゼキヤは私達。自分中心の祈りになっていないか?

何故高ぶった?

    2歴32:25 「自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、」

3.自分に与えられた恵みにしたがって報いる

感謝の祈りを捧げる。主への感謝は基本 エペソ5:19-20、。

感謝することで、平安が訪れ、神の栄光が現れる。2コリ4:15、ピリピ4:6-7

そのためには;

    自分中心の祈りではなく、主中心の祈りを行う。⇒主の祈り マタイ6:9-13

       祈ることで、主が与えてくださる恵みに敏感になる。

4 結論

詩篇116:12-19 共同訳

    116:12 主はわたしに報いてくださった。わたしはどのように答えようか。

    116:13 救いの杯を上げて主の御名を呼び

    116:14 満願の献げ物を主にささげよう/主の民すべての見守る前で。

    116:15 主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。

    116:16 どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。わたしはあなたの僕。わたしはあなた
             の僕、母もあなたに仕える者。

    116:17 あなたに感謝のいけにえをささげよう/主の御名を呼び

    116:18 主に満願の献げ物をささげよう/主の民すべての見守る前で

    116:19 主の家の庭で、エルサレムのただ中で。ハレルヤ。