Kingdom
Fellowship Church
Message Outlines
2011.11.06
礼拝の再考
信仰の中心が礼拝であるなら、その全体もまた礼拝です。捧げ者が問題となったアベルとカインの礼拝、モリヤの山でイサクをささげたアブラハムの礼拝、サマリヤのスカルという村でなされたイエスとある女性との礼拝についての会話も、一見儀式(セレモニー)礼拝上に限定して、霊と真理による礼拝を主が要求しているようにも思われます。しかし終わりの日の信仰生活が困難をきたすならなおさら、礼拝を広義にとらえるべきです。 信仰生活全体が礼拝であって、そこには「霊と真理による礼拝」に至る過程があります。その些部にわたって主が導いてくださっていることに、宗教という人為的なものが入り込むとフリを強要します。私達の礼拝の失敗のすべては霊がともなっていないことによります。真理は問題ありません。しかし愛する皆さん、私達は現に真理を得ている以上、主が喜んで受とって下さる礼拝は可能です。ハレルヤ!
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聖句:ヘブル12:2,ローマ12:1,ヤコブ1:17,1コリ12:4,ルカ17:11-16,ヘブル11:31,ルツ1:6-16
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