Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2012.03.04

血と肉にあずかる(1コリント11:22-33)

私達は一つのキリストにあるみからだとして、繰り返し主の血と肉に預かってきました。これは何の疑念を挟む余地のない、エクレシアが集い、聖餐において一つのものとして交わる、ごく健やかなみからだの姿です。ですから、このことは容易に習慣の中に溶け込み、そこに現されている厳粛な事実に触れることなく繰り返すことができるのです。しかし、神の子イエスキリストの血と肉に預かるということは、恵みと裁きの只中に自らを置くことであり、この地のすべての被造物を偽り、あるいは自らでさえ偽ることができても、この血と肉に預かる時、自らの罪は隠されることなく照らし出され、その身に永遠の命を受けるか、裁きの内に、滅びに身を置くかが決定されるということは逃れることのできない真理です。また同時にこの血と肉に預かることなしに礼拝における交わりは存在しません。それはこれこそ礼拝の本質であり、また神に仕える奉仕の本質であり、私達のこの地上での生きる意味、歩みの本質そのものであるとも言えるからです。そしてこのことにあって一つとされているのがエクレシアです。 さて、だからこそ今日私達はこの厳粛な事実の前に自らを置いて、これまでのエクレシアとしての私達自身を顧みたいのです。 主は私達の礼拝を本当に喜んで受け入れて下さっているのでしょうか?このエクレシアの姿を本当に喜んで下さっているのでしょうか? 私達が建て上げていると思っているものは本当にエクレシアでしょうか? 偽ることのできないイエスキリストの血と肉の前に深く静まり、自らの罪を悔い改めて行きたいと思います。 !


<<週         報メッセージアウトライン>>
pdfファイル)

 


==