Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2012.03.25

時代を聖書で見る(24)

このシリーズを今回で一応終了します。このシリーズでいわゆる終末の時代のあり方や流れ、そして今私たちが置かれている地点が少しはクリアにされたと思います。これらの知識を素に、それぞれで聖書を読み、御霊による語りかけを受けて下さい。人の提示した客観的知識は単にひとつの参考に過ぎません。各人が直接の語りかけを受けることが大切です。この意味で最初の主の愛とみ心に帰る必要があるのです。今、私たちは単なる黙示録やダニエル書の知識のレベルから、さらなる主の深い召しの中へと入り込む必要があると感じています。今主が渇きを覚えられ、私たちに何かを託され、私たちをご自身の至聖所の中へと親しく導き入れてくださることを願われているのを感じています。この意味で私たちはそこに入ることができないものを整理する必要が段階に入っているのです。神が願われるもの、それは排他的に主のみを神とし、主のみ旨を第一とし、主を夫とする花嫁を整え、究極には新エルサレムを得ることです。私たちは12年ほど前に何気に集会を開始し、ここまで導かれてきました。これまである意味で海辺で遊ぶレベルだったかも知れません。しかし今はかなり沖合まで漕ぎ出しており、主の深いみ心の中に触れつつあるように感じています。もう一段深い主の召しに応える時期に入っているようです。イザヤ59-60章により、主のみ心と約束を受けましょう。


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=起きよ、光をはなて= 

@私たちの状況(申命記1:7−9)

A主の託宣(イザヤ書59−60章):

59:1見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
59:2あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

59:19 そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。
59:20 「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」―主の御告げ。―
59:21 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。

60:1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
60:2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。
60:3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

60:19 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。
60:20 あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。
60:21 あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。
60:22 最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。