Kingdom Fellowship Church



Message Outlines

2012.07.08

御言葉による礼拝

主イエスキリストが十字架につかれた事によって、礼拝は大きく変わりました。罪を贖うために必要だった動物の血は、イエスキリストの流された血によって不要となり、神殿という建物の中で行う必要もなくなりました。また礼拝を捧げるのは祭司である私たち自身であり、祭司を職業としている人たちに頼む必要もありません。パウロはローマ12:1において、自分達を生きた供え物としてささげることが、霊的(ロゴス的)な礼拝であると述べています。すなわち、毎日の生活そのものが礼拝なのです。礼拝とは、日曜日に集まって皆で賛美し、牧師先生の説教を聞き、献金をすることと思われがちですが、日曜日に兄弟姉妹たちと行う礼拝は、一週間で考えれば1/7の出来事にしかすぎません。むしろ礼拝の中心は月曜日から土曜日までに行われる日ごろの礼拝、すなわち日常生活なのです。日常の生活を通して主イエスキリストとの交わりを深め、その御心に応答していく生活こそが霊とまことによる礼拝であり、主の栄光を現す事につながるのです。このことは新エルサレムでの礼拝と同じです。そこに神殿はありません。「神であられる主と、小羊とが都の神殿」 (黙21:22)であり、「神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る」(黙22:3-4)事が礼拝です。すなわち、全てが礼拝なのです。主は私たちの日常に深く介入されることを望まれています。そのことに応え、最初の一歩を踏み出すかは、私たち一人一人に任されています。                                   


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1.新約の礼拝とは ローマ12:1-2、黙21:22、22:3-4

霊的な礼拝:ロゴス的な礼拝、御言葉による礼拝。主の御言葉に仕えること。

2.最初の一歩は、主を知ることを求めること。ホセア6:1-3

一日目に十字架に付けられ、二日目は死の状態

三日目は自動的に復活 ローマ6:5

中心に主を置いて毎日を過ごす。⇒礼拝

3 主の御心を感じ、応答する。

御霊が教える。1ヨハネ2:27-28

志を立てて下さる。ピリピ2:13

自分ではなく、主の栄光になっているか。ヨハネ7:17-18

いずれ実でわかる。ピリピ3:15

4.応答しないと? ヤコブ1:22-25

しわやシミも見える「素顔」を忘れない。

応じることで祝福される。

5.結論

詩篇 25:4 主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。

25:5 あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの

神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。