Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2012.08.26
香をたく
新約において私たちが御座に向けて香をたこうとするとき、その香りの正体はキリスト本体です。詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌うとき、私たちの交わりが御父および御子との交わりであると本当に言えるとき、実質的にもその香りが立ちのぼっています。香をたいているのです。しかし注意しなければならないのは異端論駁であったり、単なる議論であったり、たとえまちがいでなかったとしてもキリスト本体以外に気を盗られすぎると、香りそのものが立たないことを経験的に知っています。エクレシアとして共に香ばしいかおりを主にお捧げしようではありませんか。また花嫁として花婿の香りを楽しみ浸ることもできますし、すべきです。ただ私個人の信仰について、できっこないことを重々承知の上、また誤解を恐れずに語らせてもらうなら、三位一体の神を切り離してしまいたい衝動に駆られることがあるのです。そして花嫁として御子の霊(=第二位格の神の霊、花嫁からすれば花婿の霊)だけを独占してしまいたいのです。しかしこの衝動は決してジレンマに陥ってはいません。同時に十字架の愛へと向かわせてくれています。そこには「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」に象徴されるように三者がバラバラになってしまった霊的事実とキリストの花嫁を得るために生じた痛みがあります。ですから主が願うのはこうです。純粋にキリスト本体のみがエクレシアという神殿内で香としてたかれ、キリストを知る知識のかおりが神殿の外に向かって放たれることです。
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