Kingdom Fellowship Church
Message Outlines
2012.12.02
聖なる交わり
ここ何回か単に救い・贖いの問題ではなく、キリスト者の地上での歩みにおける聖化という脈絡の中で十字架が語られました。今回は復活から広がっているいのちの交わり、聖なる者の交わりに軸足を少しずらしたいと思います。私たちの交わりは御父および御子との交わりであると事ある度に言っていますが、それに参加する私の立ち位置(立場)があまりに崇高であるはずなのに、私自身それがピンと来て居ないようです。主イエスはバプテスマのヨハネについて「女から生まれた者の中で、ヨハネよりもすぐれた人は、ひとりもいません。しかし、神の国で一番小さな者でも、彼よりすぐれています」といわれます。つまり肉から生まれるものは肉であるところのアダム系列上ではヨハネが最も優れています。しかし対する私たち神の国に属する者は霊から生まれる者は霊であって、男性であられるお方から生まれた者です。必然的に私たちの交わりは最低限バプテスマのヨハネより優れた者同士の交わりということになります。そして信仰者一人一人は交わりに供されるべく事実であり、新しい記憶を既に持っているのです。死と復活を信じられたこと、イエスを主と告白できたこと自体正しい記憶です。至聖所となった心の霊での主との交わり、主にある兄姉との交わりにおいて、神の国の情報や知識を新たに得るのが目的ではありません。交わりをとおして、既にある正しい記憶が呼び覚まされていくのです。ヒトの生命体のまだ完全に贖われていないところに潜んでいる古い記憶(誤謬も多分に含む)に騙されてはいけません。
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