イラク戦に関して

- 神の心と預言の成就 -

前回のアメリカのWTCビルのテロに対して、私は神の主権に服することを強調した。今回ももちろん、神の許容の中で起きたことであり、あらゆる事は神の御手の中で神の預言の成就へと向かう過程にある。しかし私たちは預言の成就をあたかもジグソーパズルを解くような態度で、現実の事件を当てはめるだけであってはならないと感じる。イエスはエルサルムの崩壊を預言しつつ、涙を流された。神の主権に服すれば服するほど、神が傷つき、神が痛み、神が涙され、神がうめかれ、神が苦しまれるのを感じる。次の文章はリバイバル新聞2003年4月25日号掲載オリジナル原稿である:

神の心

意見提言欄を拝読して、今回のイラク戦に関する印象が同じクリスチャンであってもずいぶんと異なることに驚いております。私の在米の友人も少々違和感を覚えているようです。私自身も違和感を覚えたというのが実際のところです。

私はいわゆる反戦論的平和主義者ではありませんし、WTCビルのテロの際、その惨事に直面してヒューマニズムに陥ることなく、神の主権に服するべきことを語り、聖書にあるとおり、今後さらなる悲劇と荒廃が到来するであろうと書きました(2001.11.18号)。今回のイラク戦もまだ序章に過ぎません。しかし今回私は言葉にならない神の御霊のうめきに服するべきことを語りたいと思います。

神のご計画は必ず成就します。否、すでに成就しています(黙示録はすべて過去形あるいは完了形で書かれています)。しかし神はご自分の形に造られた人類が互いに殺し合い、確かに預言のとおりになる様をどのようにご覧になるのでしょう。「よし、よし、わたしの思惑のとおりだ・・・」でしょうか?

人は善悪知識の木の実を食べて後、善悪の対立する平面上で「知りたい、知りたい・・・」が強い肉の欲となりました。「あなたがたは見えると言うところに罪がある」と主は言われました。私は今回の戦争の大義や善悪あるいは聖書的意味を論じる気持ちはありません。日米キリスト教界の立派な先生方の評価に異を唱えるつもりもありません。しかし神意は図り難い処にあります。

キリストはこの善悪の平面上に落ちている人類を贖い、いのちの平面へと回復するためにご自身を裂いて、そのいのちを解放されました。今、私の内にいのちとしておられるキリストは深く傷ついていることを感じています。御子が十字架に置かれることは預言のとおりでした。その成就は御子の苦しみと父の涙によりました。エルサレムの陥落も預言のとおりでした。しかしイエスはその事を知り、深く嘆き涙されました。

今回地上は人々の涙とうめきで満ちています。これからも満ちることでしょう。同時に私は神の涙とうめきを感じるのです。すでに御子の究極的不条理と苦しみによって、人類の不条理をすべて解いて下さっているにもかかわらず、人類は十字架から目をそむけ、荒廃と悲劇を自ら招いています。しかも「神の名によって」なしています。そのことによって、確かに神の預言は成就するでしょう・・・。が、兄弟姉妹よ、主の涙が見えませんか。主のうめきを感じませんか。主の繊細な聖い心は再度苦しみにあります。

キリストのいのちを共有するキリストの体の肢体として、頭なるキリストの御霊による言葉にならないうめきと苦しみを共有できることを願います。そのために教会はいぜんとして地上に置かれているのです。キリストは万人のためにご自身を捧げて下さったのです。

私たちがキリストのいのちの御霊のうめきを忘れる時、この世の希望は費えてしまうでしょう。


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