ダイナミック・フリーダムA

―キリストにある自由の獲得―


敵に対処する(1)




敵に対処するためには、まず敵を知ることが大切でした(『ダイレクト・カウンセリングF』参照)。ここではさらに深く敵のアイデンティティとその性質や活動を御言葉から探ってみたいと思います。


一、客観的真理



(1)サタン(別名:悪魔)

@起源:元々は"油注がれたケルブ"(エゼキエル二十八・14)、名を"ルシファー(輝ける者)"と言いました。反逆以前の彼は完き者の典型、知恵に満ち、美の極みでした(同12節)。彼は神の園エデンにおり、神の聖なる山にいました(同14節)。

彼には自由意志があり、それを自ら神に反逆するために用いました(同16節、イザヤ十四・12-15)。それは彼の心が自分の美しさのために高ぶり、その輝きのために腐ってしまったからです(エゼキエル二十八・17)。こうして彼は神の山から追われ、天から落とされたのです(同16節、ルカ十・18)。こうして彼はサタン("敵"の意)となり、また悪魔("告発者"の意)となりました。

A実体:彼は単なる邪悪な力ではありません。彼は一個の人格者(パースン)です。なぜなら彼は自己意識を有し(マタイ四・9)、自己主張をなし(イザヤ十四・13-14)、人を惑わし(黙示録二十・10)、奸智に長けており(エペソ六・11)、感情もあります(黙示録十二・12)。彼はもともと天使であり、神から大いなる力を得ていました(エゼキエル二十八・13-14、第二コリント十一・14)。しかし今日の私たちに対する彼のしわざは神の主権の中に制限されています(ヨブ一・12、二・6、)。

B性質:彼の性質は偽りの父(ヨハネ八・44、黙示録十二・9)、邪悪な者(ヨハネ十七・15、エペソ六・16)、盗み・殺し・滅ぼす者(ヨハネ十・10)、高ぶる者です(第一テモテ三・6)。また知恵に満ち(エゼキエル二十八・12)、力に満ち(第二テサロニケ二・9)、空中の権威をもち(エペソ二・2)、"この世の神"と呼ばれ(ヨハネ十四・30、第二コリント四・4)、この世はその支配下にあります(マタイ四・9、第一ヨハネ五・19)。また誘惑する者(マタイ四・3)、悪霊どもの頭ベルゼブル("ハエのかしら"の意、マタイ十二・24)、年を経た蛇(黙示録十二・9)、龍(同)と呼ばれます。

C策略:サタンには"所存"(第二コリント二・11)と"仕組み"(エペソ六・11)があります(共に永井訳)。所存とは彼の計画、意図、計略であり、仕組みとは具体的な手順、過程、手法を指します。これらに対して無知であってはなりません。サタンは私たちの内住の罪と肉いろいろなチャネル(特に、思い)を通して刺激し、キリストにある平安と安息から私たちを引きずり出すのです。彼は光の天使にさえ化けることができます(第二コリント十一・14)。今日も獲物を求めて地をさ迷っています(ヨブ一・7、第一ぺテロ五・8)。

彼は自分の運命を知っておりますから、かつては約束された"女のすえ(イエス)"を抹殺するためにヘロデを用いて幼児虐殺をしたり、イエスを十字架につけ、またローマ時代や中世暗黒時代には聖徒を虐殺しました。

しかし今日の日本ではこのような直接的アタックからは一応は守られていますが、様々なメディアや大衆の口を通して、御言葉の真理に対立する敵の偽りのプロパガンダがなされ、神の言葉を無にし、栄光の福音が見えなくされています(第二コリント四・4)。

空中の権をもつ者サタンは時々の霊的状況を動かし(エペソ二・2,3)、人々はその影響に曝されて、この世の幼稚な哲学や教え(ガラテヤ四・3、コロサイ二・8,20)、さらにこの世の霊に従って人生を刻んでいます(エペソ四・17-19)。

彼の誘惑方法はすでに『ダイレクト・カウンセリングG』で詳細に論じました。今日、敵の力はその偽りにあります。私たちが意識的にせよ無意識的にせよ、敵の偽りを信じ込まされるとき、それが私たちを圧迫し、内側の平安と安息を奪い、御霊の油塗りを損ないます。私たちは何をどう聞くかに注意する必要があります(マルコ四・24)。

(2)悪霊たち

@起源:元々は神の被造物である天使でした。サタンが神に反逆した際にそれに追従した三分の一の天使たちです(黙示録十二・4)。

A実体:彼らはサタンと同様に単なる邪悪な力ではなく人格者(パースン)です。しかし彼らは体を持たない霊的な存在です(ルカ二十四・37-39、ヘブル一・14)。

B性質:彼らはパースンであり、人々の内にも外にも住むことができます。彼らは休める場を求め、もし可能であれば、人の内に住みます。彼らは語ることができ、互いに協調することができ、ある程度の自立性を有し、その邪悪性にレベルがあります(以上、ルカ十一・24-26参照)。彼らは人に優る力があり(マルコ九・18、使徒十九・16)、永遠に存在しますが(ルカ二十・36)、もちろん神には匹敵し得ません。

C策略:彼らはサタンの配下にあって、系統的な体系をなし(マタイ十二・25、エペソ六・12)、サタンの意志を地上で執行します。様々な精神的肉体的病を生じさせ(マタイ十二・22、ルカ十三・11など)、自己破壊的行動をさせ(マルコ五・5)、偽りの教えをなし(第一テモテ四・1)、偽預言者を興し(第一ヨハネ四・1)、神の子を邪魔し(第一テサロニケ二・18)、私たちの思いに自らの想いを投影できます(マタイ十六・22,23)。

彼らは結局サタンの意志をこの世において、また私たちに対して執行するために、サタンによって戦略的に配置され、地域ごとに要塞を構築し、神の言葉を排除しています。

(3)イエスの獲得した勝利

@その人間性において:
イエスは神のロゴス、神の独り子、永遠の過去から父のふところにおられた方でした(ヨハネ一・1,2)。その方がある時に時間の中に人性を取って介入されたのです(ヨハネ一・9,14)。彼こそが創世記三・15で約束された"女のすえ"であり、サタンの頭を砕くと宣言されていた方です。


彼は人なるナザレのイエスとして、私たちとまったく同様の人間生活を三十三年半地上でおくられました(ヘブル二・14)。その生活は御父の御旨に完全にかなうものでした(ルカ二・52、三・22)。試みにあったときも、サタンの「もし神の子なら・・・」という巧みな誘導に乗らず、あくまでも父なる神と御言葉に頼り、人として勝利を得られました(ルカ四章、『ダイレクト・カウンセリングG』参照)。彼自身、御父と御言葉に対する信仰によって敵に勝利され、また地上を生きられたのです(ヘブル二・13)。決して御父から独立して何かをすることはなく、その言動はすべて御父が命じ、また語り行なうとおりでした(ヨハネ八・28、十二・49)。彼は完全に御父に従い通したのです(ヘブル五・8-10)。

私たちとまったく同じ肉体を持たれ、時に疲れ、時に血を流し、時に激しく叫び、時に涙されました(ヘブル五・7)。そして私たちとまったく同じように誘惑や試みにあったにもかかわらず、決して罪は犯しませんでした(ヘブル四・15)。彼は罪の肉の様を持っておりましたが(ローマ八・3)、内に罪がない青銅の蛇として十字架につけられ(ヨハネ三・14)、私たちのために罪とされました(第二コリント五・21)。

彼はサタンに対して(ヨハネ十四・30、ヘブル二・14)、この世に対して(ヨハネ十二・31、十六・33)、死に対して(ローマ六・9)、罪に対して(ローマ六・10)、完全なる勝利を得られましたが、それはすべて彼の人間性においてでした(エペソ一・20-22、第一テモテ三・16、ヘブル一・3,4)。損なわれた人間性を神はイエスの人性において回復し、栄光化して下さったのです(ローマ八・17,30、ヘブル二・10)。私たちは天使ではなく、人間であることを神に感謝すべきです(ヘブル二・16)。むしろ御使いが私たちに仕えて下さるのです(ヘブル一・14)。(つづく)

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