ダイナミック・フリーダムJ

―キリストにある自由の獲得―


要塞と呪いを取り扱う(2)




 (c)かつて私たちはこの世の価値観に曝され、自分の力で生き抜いてきました。その名残で現在でも事がうまく運ぶと自分の功績として誇り高ぶり、うまく行かない時は時に自分や他人を責めて落ち込んだりします。このような劣等感と優越感、あるいは妬み・嫉妬・競争心も要塞の存在の兆候です。

 (d)私たちの思いの内には意識レベルでも無意識レベルでも、神の知識と知恵に対立する諸々の思想や価値観がくもの巣のように張っているのです。そのため何でも議論の対象とし、理屈をこねて知的に物事を処理しようとする傾向も要塞の存在を示唆します。

 (e)また私たちは人間関係において感情・情緒が多かれ少なかれ傷ついております。時にはショッキングな事件に遭遇した結果、それがトラウマ(精神的外傷)になっています。このような傷が、時としてある事を契機にフラッシュバックして、自分では抑えがたい情緒的混乱や不安・恐怖を惹起することがあります。人によってはパニック発作に陥ります。

 (f)同種の要塞をもった人々がコミュニティーを構成しますと、共同体レベルでサタンの要塞が設営されます。例えば、歌舞伎町にはあらゆる肉欲と不潔を許容するサタンの要塞が設営され、東京の下町には○○学会などが普及している結果、福音を排除しようとする勢力の存在を感知します。またインテリ層にあっては、福音を何か幼稚なものと評価し、御言葉をおとしめる勢力を感じます。自らの知性と知恵を"神"としています。


■二.要塞と呪いへの対処

個人レベルにおいて、要塞を取り扱うポイントは次の四点です。@聖霊によって自らの内にある要塞の存在を照明していただくこと。A悔い改めをもって十字架に来ること。B聖霊によってその暗い部分に光と力を送っていただくこと。Cカルバリで獲得された十字架のイエスの勝利に堅く立つこと。

@において大事な点は、決して内向的になって、自分で自分の内側を探索するのではありません。自分の内を見るならば、それは"古い人"の痕跡が満ちているばかりでしょう。むしろ要塞の存在は自分にとっては盲点となる部分であり、自分では見出し得ません。それはただ聖霊の照明によるのです。このとき私たちには誠実さが要求されます。人は自分の真実に直面することは避けようとする傾向があるからです。聖霊の照明がある時、私たちは自ずと自らの無力に気がついて、悔い改めをもって十字架に行くしかなくなります(A)。そして新たに心を開いて、御言葉を通して聖霊の光と力を受けることができるのです(B)。

そして最も大事な点は、私たちが自分で勝利を得るのではなく、すでにカルバリの勝利が得られているという客観的な事実に堅く立つことです。自分で得ようとするならば、葛藤に陥り、むしろ敵に付け込まれます。すでに勝利は得られています。私たちは自分で戦わずして勝利者なのです!(ローマ八・37)

私たちの内なる要塞が粉砕されるのは、聖霊の照明と御言葉の真理によるのです(第二コリント十・4)。イエスは言われます:「真理はあなたがたを自由にします・・・もし子があなたがたを自由にするならば、あなたがたは本当に自由なのです」(ヨハネ八・32,36)。私たちの内の要塞とは真理の光が届いていない部分です。時に自分でそれを守ったり、神に触れられることを恐れたり、あるいは時に自分の享楽のために保留している領域です。サタンとその手下どもはそのような暗闇を好みます。しかるに光は闇を駆逐するのです(ヨハネ一・5)。光の照らされている所にサタンが働く余地はないのです。

私たちの内の要塞、あるいは敵の拠点とされている内的領域を一つ一つ解放して行く事によって、私たちの内的自由は拡大し、以前は闇の中に閉ざされていた各領域は、神の光を浴びて恵みの領域へと変えられるのです。その解放がなされる戦場はまず私たちの思い(mind)からです(ローマ十二・2;原語)。解放戦線が敷かれている間、敵はありとあらゆる火の矢を私たちの思いの内に放って来るでしょう。しかし十字架の勝利を思い起こし、信仰によって血と御言葉を用いてイエスの勝利の中に立ち続けましょう。要塞が粉砕されるならば、すべての思いをキリストの捕虜とすることができます。

実は私たちはすでにキリストの思いを持っているのです(第一コリント二・16)。私たちの思いの領域は、すべて神の価値観および神の知恵と知識で満たされて行くのです。このようにしてキリストへともたらす領域を拡大して行くのです(第二コリント十・5)。かつて敵に占拠されていた領地を、キリストの領地へと解放して行くのです。

一方、呪いへの対処はきわめて簡単です。私たちはすでに呪いの領域から、御子の光の国に移されているのです(コロサイ一・13)。私たちはあらゆる霊的祝福をすでに受けているのです(エペソ一・3)。イエスの十字架と血潮を取ればそれで十分です。自分の内を探ったり、家系を詮索したりしないように(第一テモテ一・4)。それは敵の狡猾な罠です。すでにある勝利を宣言するだけでよいのです。

私たちの責任は罪を赦され、新しく創造された者として、御霊と真理に自らを委ねて歩むことです(ローマ八章、十三・14、ガラテヤ五・16,17)。鍵はキリストの言葉を豊かに内に住まわすことです(コロサイ三・16)。

この時私たちを通して外側へと福音も拡大し、この世においてサタンに占拠された領域も聖霊によって解放されて、神のものとされます(第二コリント十・4-5)。個人レベルの解放からコミュニティーレベルの解放へと、神の領地、神の御国が拡大していくのです!その領地はすべてキリストのものであり、その血に塗られ、聖霊の証印が押されているのです!


■三.信仰の宣言と祈り

御父よ、私を御子の血潮によって覆い、敵のあらゆる影響から守って下さい。御霊により、私の心の内に傷ついた道があるかないかを探って下さい。真理の光で照明して下さい。私の思いの内にあるあなたとの交わりに障害となるものをお取り扱いください。

今、私は○○の罪を告白し、イエスの血の下に置きます。それを捨て去り、もはやその影響下にないことを宣言します。今後この罪によりあなたを悲しませたり、あなたとの交わりを損なうことがありませんように。この罪により敵に付け込む隙を与え、また人々にも悪影響を与えたことを赦してください。

イエスの御名と血潮の力によって、私の思いの中にあるあらゆる敵の要塞に立ち向かいます。私はキリストの思いを持っております。私の思考パタンを神の言葉の真理によって形作ることを宣言します。

私は特に○○の要塞に抵抗します。キリストの知識に逆らって立つあらゆる高ぶりと要塞を粉砕する霊の武器を用います。私はこれらの要塞が粉砕されることを信じます。私は自分の思いを神の言葉に委ねます。私は御霊の恵みと助けによって、思いに組み込まれた消極的な考え方と不信仰の要塞を捨て去ります。

イエスの御名と血潮によって、私は今イエス・キリストが下さったあらゆる権威を用います。この権威によって、私に対してまた家族に対してもたらされたあらゆる呪いの力を粉砕します。呪いの力はすでに破られています。私と家族は完全にこの影響力から解放されていることを宣言します。

私は私を呪った人々を祝福します。天の父よ、あなたを褒め称えます、私はすでにサタンや悪霊の力に圧迫されて、怯えつつ生きる必要はありません。あなたが私の防御壁であり高きやぐらですから、あなたの内に逃げ込みます。あなたがイエスにあってなして下さった敵のあらゆる策略に対する勝利のゆえにあなたを賛美します。

御父よ、私は主イエスとくびきを共にしています。ますますイエスに似た者となりたいと願います。栄光から栄光へと私を御子の形に造り上げて下さい。

イエスの名によって、アーメン。




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