ハードコア・プロファイルズ −人間の実存的状況の病理と処方− 第1回 真実に対して霊の目を開く 目を覚ます時 連載を開始するにあたって、今回の米国のテロには少なからぬ衝撃を受け、いよいよ終わりの時代の様相を深めていることを確認しました。犠牲者と関係者の方々に神の憐れみと慰めを祈りたいと思います。同時に、本件に対するキリスト教界の様々の反応を見るとき、「自由・平等・博愛」などの標語のもとにヒューマニズム、エキュメニズム、さらにはニューエイジ的価値観によってすでに深い部分まで侵食されていることを再確認し、今後の動向に一抹の懸念を覚えます。 かつての戦争時に日本のキリスト教会が陥った偽善と欺瞞が、今後相当の確率で繰り返されるであろう事に対して警鐘を鳴らしたいと思います。「人の目に良く、慕わしく、魅力的に見えるもの」はしばしば狡猾な敵の欺きです。アダムとエバの罪は「悪を知った」ことではなく、「善と悪を知った」ことなのです。「人の心はよろずのものよりも偽り、はなはだしく病んでいる」という御言葉を噛みしめるべきです(エレミヤ十七・9)。 終わりの時代の敵の策略は「偽り」であって、相当に意識的に見張っていないと、人間中心・知性万能・合理主義に汚染された私たちのマインド(思い)は、容易にキリストに対する純潔を失って、敵によって汚されます(第二コリント十一・3)。時代はすでに目に見えるものによらず、御言葉に頼る「計器飛行」をすべき時であって、この「計器」から目を離すならば、容易に見るもの、聞くものによって欺かれて、霊的墜落に至るでしょう(第二コリント四・18)。その意味で今の時代はクリスチャンがその信仰の本質を暴露されて、霊的なフルイにかけられる時と言えます。 「ハードコア」の意味 現在私の著書『真理はあなたを自由にする-「ファクターX」の再発見-』を出版準備中ですが、本書はこれまでの私の連載をまとめ大幅に加筆したものです。対して本連載はその内容のいわば症例研究と言えるものであって、クリスチャンがこの地上の幕屋に留まる間に遭遇する様々な問題の診断と病理、さらに処方を提示するものです。キリストにある真の自由を獲得するためには、自分の真実に直面することが不可欠です。否、真実に直面し得るならば、その時点で問題はすでに八十%解決したと言えるのです。実は人間の抱える葛藤や苦悩の根本原因は、自分の真実に直面することからの逃避的取り繕いそのものと言えます。金融機関の不良債権問題と同様に、債権の査定のごまかしや粉飾決算を止めるだけで、御霊はただちに真の霊的自由と解放をもたらして下さるのです。 本連載は月1回全12回を予定していますので、出版される著書といっしょにお読みいただければ相互の理解を深めることができると思います。本連載を読む際に注意されたい点は、症例研究である以上、かなり具体的に問題をえぐり出します。今日日本のキリスト教界では偽善がほとんど放置されており、姦淫している牧師が信徒の前で神の言葉を語るという病理的事態が何らの批判にさらされることなく、まかり通っています。こういった領域の問題から、個人レベルで抱える葛藤や悩みの問題まで広いスペクトルをカヴァーする予定でいます。そこでモデルの詮索をする誘惑にかられたり、あるいは自分に当てはまるといった印象を持たれる向きがあろうかと推測しますが、サタンにつけこむ隙を与えない霊的姿勢を保っていただくようにお願い致します。すべての症例は当然のことフィクションとして再構成します。 このような理由で『ハードコア・プロファイルズ』と題します。もうそろそろキリスト教界特有の「裸の王様ゴッコ」は充分ですし、クリスチャンの数が増加しない理由は、実はキリスト教界の恥部・暗部の存在、あるいは表面的な「甘ったるいキレイな言葉」の裏に見え隠れする「胡散臭さ」を、実は世の人が感知しているからに他なりません。またこの世に受け入れられることを求め、この世に媚びる姿勢も世の人はすでに察知しています。「愛し合って」、「赦し合って」、「受け入れ合って」の裏にはヒューマニズム的偽善が横たわっています。「伝道」が世の人への媚びあるいは世における人気取りになっています。 しかるに「裁きは神の家から始まる」とあります(第一ペテロ四・17)。御言葉は私たちの霊と魂を切り分け、真理は肉を切り取り痛みを覚えさせるもの、またコンフロンテーション(対決)を要求するものです。もう「砂糖まぶし」では立ち行かないフェーズに入っているのです。時代はすでに「ハードコア」です。 人間の諸問題のルーツ 理論的な詳細は新著に相当に噛み砕いて書いておりますので、ここではアウトラインを提示します。この世の精神科学では人間の苦悩の原因についていろいろな学説がありますが、霊的要因を考慮に入れていない、人間的次元での現象論的アプローチしかなされていません。しかも「諸子百家」の乱立状態にあり、根本的解決の提示はありません。 これに対して、聖書では人間の実存的状況とは「罪のため神から分離されて、霊的次元から切り離された人間が、自分のあらゆるレベルの必要を自分の肉体と魂(精神)の努力によって補償しようとする営み」、すなわち「罪と肉の問題」と定義し得ます。本来あらゆるいのちの源である神ご自身が私たちのあらゆるレベルでの必要を満たして下さる源であったのですが、その無限の資源から切り離されてしまった存在が人間に他なりません。エデンの園で得ていた、神との関係における愛の交わり、アイデンティティ、存在意義、必要の満たし、あらゆるレベルでの安全などを喪失した代わりに、自己努力によってこれらのものを再獲得する営みが人の生です。これが人間関係の問題のルーツであり、この世の様々のダイナミクス(力学)の本質であり、歴史を構成する原動力です。 クリスチャンとして霊が再生されて霊的次元とのコンタクトが再開され、神との交わりに戻されたとしても、残念ながらかつての生き方のパタンが残るのです。これを肉(flesh)と言いました。すなわち自分の必要の満たしと生存の保障をキリストのうちに見出すことに失敗し、自分で獲得し守ろうとする取り繕いのパタンです。自己尊厳の再獲得の努力が野心として現れ、しかもその動機を隠して見かけは慈善とか奉仕あるいは牧会などの形を装います。愛の喪失感を補償するために、異性によって受け入れられることがアイデンティティの確認手段となり、異性問題を繰り返します。内に抑圧された憎悪の感情を抑える取り繕いが、形を変えて強迫観念や抑うつなどとしてその人を苦しめます。残念ながら多くのクリスチャンがこのような問題を内に抱えています。表面は成功した牧会をしている方が「実は自分は・・・」と言うケースがあります。見かけは貞淑な女性が深刻な性的罪を繰り返していることもあります。 ハードコア・プロファイルズの目的と方法 本連載では、具体的なケースを描き出し、その診断と病理を分析します。つまりその人の抱えている問題は、自分の何を再獲得しようとしているのか、またその時にどのようなメカニズムによる取り繕いをしているのかを分析します。次にその問題を解決するためには神によってどのような取り扱いを受け、キリストにあって何を満たしていただければよいのかを診断します。そしてその祈りのサンプルを与えますので、それをもとにして自分の問題を解く手がかりとして下さい。 大切なことは、心の問題はガンのオペのように麻酔されている間に誰かがやってくれるものではないのです。自らの自由意志を用いて、自ら神に開き、自ら神の取り扱いを受け、自ら真理に委ねるという姿勢が不可欠です。そして御霊が照明して下さる自らの問題の真実をごまかすことなく、それから逃げることなく直面するという自分自身に対する誠実さが求められます。誠実さと自由とは互いに正比例するのです。 |