霊的アイデンティティの確立K
―いのちの内発的発露―
北朝鮮拉致問題
今般五名の拉致被害者が帰国された。北朝鮮の映像もたびたび報道されるが、飢えの深刻さは言わずもがな、人々の表情や態度の不自然さが目につく。エリート階層の幼い子供たちですら作られた表情が哀れである。それは監視と統制によって内発的ないのちの発露を一切封じられた民衆の窒息寸前の息づかいである。一言で言えば「ヤラセ社会」の病理と言える。
カルトの方法
北朝鮮がある人物と主体思想に対する"信仰"に基づくカルト国家と判断することに異論はないと思う。一般にカルトの本質は体制維持という大義名分の下での個人の抑圧と統制と搾取である。マインドコントロールの基礎理論である『認知的不協和の理論』を体系化したフェスティンガーはカルトの手法として、思想、情緒、行動の統制をあげ、スティーブン・ハッサンは情報の統制を加えている。
人は外的な拒否し得ないインプット(刺激)を受け魂の領域の各要素(知性・情緒・意志)の間に違和感を生じると、それを最小にするように自らの魂の構成を変える性向を有している。サバイバルのための適応行動である。かくしてカルトでは外的な価値観やプロトコル(規範)に合わせて人々は一種の規格化を受ける。
内発的いのちの抑圧
カルトでは内発的ないのちの成長が阻害され、個人のアイデンティティも外的な規範に適合する要素だけを残した規格化された不自然なものとなる。そこで内発的ないのちを成長させておらず、自然なアイデンティティを確立し得ていない場合、その組織から外部に出たときにむしろ不適応を起こし様々な問題を生じる。外的な規範を喪失した場合、彼らは内的な空虚感に直面せざるを得なくなり、深刻な自己喪失感に陥る。
今回の帰国者にも当初は「自分のうちには日本人の部分と北朝鮮人の部分がある」と語った方もいたが、その中核にはすでに日本人としてのアイデンティティを確立していたために、ぎこちなさもすぐに消失し、自然な内的感情の発露も見られるようになっている。しかし彼らの子供さんたちの方は北朝鮮という人工的な空間から連れ出した場合、むしろ深刻なアイデンティティ・クライシスに陥ることが十分に考えられる。
キリスト教界におけるカルト化傾向
北朝鮮の状況は決して他人事ではない。ニッポン社会も内発的自発的にというより、ほとんどが天下り的要素によって運営されている。そのシステムもそろそろメルトダウン寸前である。しかもニッポンという歴史的にも精神病理的にも特殊な閉鎖社会の中の閉鎖社会がニッポンキリスト教界である。
現在、表向きは正統な看板であっても、その内実はほとんどカルト化している教会が増加傾向にある。そこで行われることは本質的には北朝鮮とほとんど同じである。人々はある一定の価値観を強要され、その集団においてはある一定の行動パタンを見せるようになり、言葉もほとんどワンパタン化する。みかけは聖書的であるために人々は神に反することを恐れ、声をあげることすらできなくなる。霊的にはほとんど窒息しており、内発的ないのちの発露は完全に封殺される。
内発的ないのちが育っておらず、内的な充足感を伴って生き生きとした内住のキリストが実体化されていないと、人々は容易に外なる拠り処を求めるようになる。かくして特定の器信仰に陥ったり、組織や団体の維持が霊的内実に勝り、理事会や委員会の決議が御言葉に優先するようになる。今回、北朝鮮の様を見てニッポンキリスト教は現在重大な岐路に立っていることを指摘したい。